高田派では歴代法主が発せられる書簡体の法語を「御書」と称します。東西本願寺での「御文(おふみ)」「御文書(ごぶんしよ)」に相当します。高田派で御書を初めて積極的に取り入れられたのは、10世真慧上人ですが、同時代の本願寺8世蓮如上人が「御文」による伝道に成果を挙げられておられたことに倣われたものでしょう。
親鸞聖人が関東の門弟と、浄土のみ教えについてご消息を通したやりとりしていたことがあってのことと思います。
ただし「御書」という呼称は真慧上人によるものではなく、定着したのは、14世堯秀上人が、明暦3年(1657)に『御書4巻』を初めて開版されて以来のことと考えられます。
真慧上人は多くの御書を残されましたが、中でも上人自身が選集された、「中興上人御書」1巻は門末に最も珍重され、上人の由緒寺院である、浄光寺、慈光寺、明覚寺、厚源寺に伝えられています。
特徴として、本願にまかせ、大悲を仰いで称名せよとの趣旨を明快に説いておられ、同時に「本寺崇敬(ほんじそうきょう)」を強くすすめられています。