9月の日曜学校

9月10日から12日に第14世堯秀上人350年忌法会 第16世堯円上人300年忌法会が高田本山でお勤めされます。
両上人について振り返ってみます。
堯秀上人在世の時代は、天正8年(1580)に焼失し天正16年(1588)に落慶した一身田の御堂が再び正保2年(1645)1月に炎上しました。堯秀上人の法嗣の堯朝上人の代でありましたが、堯朝上人が江戸に滞在中の事であり、翌年再び堯朝上人が江戸の幕府へ行かれて5月に自害されました。再び堯秀上人が住持職として、左大臣花山院定好の第4子を迎えられ法嗣として教育されました。津藩の藤堂高次が土地を寄進(現境内地の西三分の二にあたる)して今の境内地の規模になり、万治2年(1659)に御堂の再建に着手し、寛文6年(1666)に現在の御影堂が完成しました。また、承応元年(1652)堯朝上人の7回忌に際し、内室の高松院の発願で洪鐘が鋳られ、その後鐘楼が造立されました。
第14世堯秀上人 寛文6年(1666)12月19日(陽暦1月13日)85歳
「つらつら世間の転変を観ずれば、哀傷の涙 袖にあまり」と仰せられた上人は、御内室にも早く先立たれ、両堂の焼失、堯朝上人のご逝去、「かなしみ肝に銘ず」とは実感のお言葉と拝する。今日まで門末は、この御書を拝誦して、無常を感じ、大悲の恩徳を喜ばせて頂いているが、65歳の後老境をもって、法嗣の育成、山内の復興、年譜のごとく、言語を絶するご苦労をされた。御影堂再建という、現代ではもうできない文化財をお残しくだされ、「他力の御廻向によりて、往生決定する」幸せを感謝せよと、改悔文に仰せられて、門末を教導せられたことを忘れてはならない。
第16世堯円上人 享保元年(1716)7月27日(陽暦9月12日)76歳
堯朝上人のご逝去によって、翌々年、堯秀上人は花山院から8歳の上人を迎え、とくに教育に留意せられたようである。『興御書抄』(恵雲著)に「寛文第3暦5月21日 御子達御披露恵雲」とあるのもその一例と拝察する。東都に遊学した普門も帰り『教行信証師資発覆抄』250巻の大著をなし、恵雲は『教行信証抄』を刊行した。東西にも本典講録の刊本なき時代であるだけに、諸学匠はたいへん参考したという。安居の制を定められ、学事は大いに盛んとなった。歴代御廟の建設、山門建立、野州高田山本堂再建などされ、宝永7年(1710)職を円猶上人に譲られた。
【高田本山の法義と歴史より】
 改悔文(がいけもん)
他力の御回向によりて、雑行雑修疑心自力をすてて、阿弥陀如来後生御たすけ候えと、たのみたてまつる最初の一念に、我らが往生は決定と領解いたし候。このうえには命終わるまでの念仏は御恩報謝とこころえ申し候。かように聴聞申しわけ候ことは、御開山聖人、次第御相承、今日御出世の善知識の御恩と、ありがたく存じ候。今よりのち、善知識より定め示さるおもむき、そむき申さぬように、たしなみ申すべく候。御恩ありがたや。 南無阿弥陀仏
※改悔(かいけ) あやまちを悔い改めることまた、自力を悔い改め他力にまかせること
 妙華寺では、自宅での年忌法会の後、「改悔文(がいけもん)」を拝読しています。
  寺勤めでは、「御書」を拝読しています。
年忌 故人の毎年の祥月命日のこと。故人を縁として仏法に遭い、阿弥陀仏の恩徳に報謝する思いでお勤めされます。
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8月の初盆総回向

8月の初盆のお勤めが終わりました。前々住職の時代は、翌日に初盆の灯籠を境内で焚いていました。前住職の頃になりますと外で物を燃やすことができなくなり、それぞれの灯籠を小さく片付けて処理をしていました。今は大きな飾りの灯籠が少なくなり片付けに関しては楽になりました。また、お勤めの後、平素のお仏壇のお給仕の仕方のビデオを見ていただいています。改めて拝見していますと何気なくしていた仕方が間違っていたことにも気づくこともあります。以前ほどお仏壇の前でお勤めする時間はとれなくなっている時代ですが、私たちの心の安心や落ち着く場所としてお仏壇のある空間を見直していきたいと思います。
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※毎月(正月を除く)第1日曜日午前7時30分からの日曜学校では、平素のお勤めを参加者の皆様と一緒にしています。知らないうちに作法についても学べますし疑問などにもお答えしています。ご都合がつきましたらご参加ください。ひ

8月のお盆

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8月のお盆は11日~15日に120軒ほどのお同行様へ伺いました。暑い中で、短い時間ですがお仏壇の前でお勤めをさせていただいています。限られた時間にも関わらず、その日をお待ちいただいていることに感謝します。お盆のお勤めに、私が伺い始めて40年ほどになりますが、念珠が途中で切れて、そのお家の念珠をお借りしたことや、輪袈裟が扉の取っ手に引っかかり切れて、応急処置をしていだいたこと初めて経験することがありました。最初の頃は、作法も分かってるようで分かっていないこともあり、その時のお同行の皆様にお育てをいただいていたことです。その頃の主(あるじ)がご往生され、2代目、3代目が主として私(住職)をお待ちしていただいているお家では、以前のお話になる時もあります。また、8月のお盆は、ご家族がお休みで遠方からお帰りになられているお家もあり少し賑やかなお勤めになります。毎年同じ日に伺いながらお勤めをさせていただいています。また、妙華寺がこの地に建てられた時の高田本山のご法主殿の書かれたお名号を大切にされているお同行様のお仏壇でお勤めさせていただくことも有難いことです。
8月のお盆では、数年前から忘れることができないことがあります。一人住まいのご高齢の方でお寺に親しい方が、妙華寺の親鸞聖人750回御遠忌の前年に本堂の改修にあたりご寄付を8月初旬にお寺に持参していただきました。その頃はお寺まで歩くことも大変でタクシーをお使いでした。お盆でお伺いしてお礼を改めて申す予定でご自宅に伺いました。いつもなら玄関のチャイムを鳴らすとしばらくしてから鍵が開けられ、お仏壇の前でお勤めをいたします。その時は何度玄関のチャムを鳴らしても鍵が開きません。窓から室内の明かりが点いているのが分かるのですがお声をかけても返事も無く、しばらくして次のお同行様に伺いました。気にはなっていましたがそのまま時が過ぎ、9月の中旬にその方が亡くなられていたとご親戚から連絡がありました。死亡診断書には8月下旬と推定されていました。私(住職)がお盆で伺った時に違った対応がとれていたらと悔やみながら、ご命日をご親戚の方と決めて納骨をいたしました。今年もそのお家の近くを通りお盆勤めをしました。

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8月の日曜学校

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03 さとり
シッダールタは北東インドにあるマガダ国に行き、ふたりの師について修行をしましたが、あっという間に師の教えを理解したので、修行に満足できなくなってしまいました。そこで、師のもとを離れ、5人の修行者と一緒に苦行を開始。42日間も断食したり、意識がなくなるまで息を止めたり、とても厳しい苦行を6年間行いました。しかし、シッダールタはまだ、人生の真理を見つけることができません。「苦行では、自分の求めるものは得られない」と知った彼は、35歳のときに仲間と別れ、少女の供養した乳粥(ちちがゆ)を受けた後、菩提樹(ぼだいじゅ)のもとで深い瞑想(めいそう)に入ります。煩悩が悪魔として現れて、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでも彼は深い瞑想を継続。そして明け方、シッダールタは心の迷いから抜け出て、さとりを開くことができたのです。こうしてシッダールタは、「ブッダ(=目覚めた人)」となりました。
04  布教
さとりを得たブッダのもとへ、ブラフマンという神様が現れ、「あなたのさとりをこの世の人たちに伝えなさい」と言いました。「人々に説いても理解してもらえないだろう」と渋っていたブッダですが、ようやくその願いを受け入れて人々に教えを説くことを決意します。最初に訪れたのは、かつて、一緒に修行をしていた5人の仲間がいるサールナートでした。そこで最初の説法を行ってから、さらなる旅へ。弟子の数もどんどん増え、やがて仏教教団ができあがりました。
05 入滅
さとりを開いてから45年が経ち、ブッダは80歳になりました。いつものように弟子を従え、教えの旅に出かけましたが、旅の途中でブッダは体調を崩します。自分の命もあとわずかとさとったブッダは、クシナガラという村に到着すると、日本のシャーラ樹の間に床を敷いて横たわり、静かに最期のときを待ちました。そして、悲しむべき弟子達に「すべてのものは無常であり、つねに変化しているのです。これからも一生懸命、修行を実践しなさい」と語りかけ、生涯を閉じました。
※「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より
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初盆総廻向

初盆総廻向

7月の初盆のお勤めが終わりました。妙華寺では初盆の最後のお勤めを初盆を迎えられましたご家族の皆様と一緒にしています。お勤めの中、ご焼香をしていただいている時、私(住職)は、枕勤めに伺った時のことや、お通夜、ご葬儀のことを思い出すことがあります。改めてご往生されました方々との会話や穏やかなお顔が頭の中によぎります。そして「お会いできてありがとうございます」とお礼申し上げます。時間が大変早く過ぎゆく時代に、ご往生されました大切な方とお会いできる時間を共有できることに感謝しています。

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7月のお盆

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7月のお盆のお勤めが終わりました。毎年梅雨の終わりですので雨の日と暑い日があります。今年は蝉の声を聞くこともありました。毎回お同行様のお仏壇の前でお勤めをしていながら気づくことがあります。お仏壇の作りであったりお同行様のご本尊の由来であったり、脇壇の九字・十字名号の時代であったり今までどこを向いてお勤めしていたのか反省するばかりです。妙華寺のある二ノ町は、江戸時代職人の町でした。腕利きの職人の造られた高田の仏壇が今も大切に相続されているのを拝見することもあります。
また今回は初めてお手伝いしていただいた方に次に伺うお同行様のお家まで案内していただいたことを聞き、その地区の良きコミュニティが続いていることにも気づかさせて頂きましたありがとうございました。
最近はご家族も所用が多く、1日中、ご家庭にいることもかなわないことで、お寺に前もってご連絡をいただく場合もございます。そのような時は、お墓でお盆のお勤めをさせていただいています。

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7月の日曜学校

7月の日曜学校では、「とってもやさしい はじめての仏教」 (公益財団法人仏教伝道協会より)を参照しました。
【仏教とはいったいどんな宗教なのか?】
今からおよそ2,500年前、お釈迦(しゃか)さまはこの現実の世界を「苦」であるとみきわめそれを乗り越える道を示しました。
日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのでなく、それらを正しくみつめ「今を生き抜く」ための智慧(ちえ)へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦さまの説いた教え、仏教なのです。
日本に伝わってから1,500年余り。仏教はこの国を見守ってきました。光を見失った多くの人が救いを求めている今こそ仏教の教えを見直してみませんか。
【お釈迦さまって誰?】
仏教の開祖、お釈迦さま。恵まれた環境で生まれ育った王子が、なぜ、修行の道を選んだのか?その足跡をたどると、お釈迦さまの教えが一層くっきり見えてきます。
01 誕生
紀元前5世紀ごろ、ヒマーラヤ山脈のふもとにカピラヴァストゥという、シャーキャ族の城がありました。そこで王子として生まれたのが、ガウタマ・シッダールタ、のちのお釈迦さまです。生まれてすぐ、母は亡くなり、シッダールタはおばに育てられることになりましたが、豪華な宮殿での生活は不自由のない、とても恵まれたものでした。その一方、繊細(せんさい)で感受性が強い性格で、「人間はなぜ、苦しみから逃れられないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。
02 出家
ある日、シッダールタは城の外へ出てみました。そしてそこで、老人や病人、死人、修行僧に出会いました。こうした人に出会うなかで、「人間は老いることや病気になること、死ぬことは避けられないのだ」と知り、修行の道を歩むことを決意。父の反対を押し切り、29歳で出家しました。
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6月の日曜学校

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6月の日曜学校では、お寺の鳴り物についてお話ししました。
お寺の境内に梵鐘があります。行事への参集の合図で法会の30分前から打ち始めます。また、お寺によって、毎日、時の鐘として鳴り響くことや、除夜の鐘として大晦日に鳴り響くことも有名です。
本堂内には、高座の横に磐(けい)が掛かり、磐枚(けいまい)の柄の端を垂直に保ちながら軽く打ちます。高座に着座してお経や式文を拝読するときに使います。
内陣の住職の席に砂張(さはり)があり、 打棒で、砂張の外側上部をすりあげるように打つよう聞いています。妙華寺では、衆徒席に大鏧(だいきん)があり、こちらも鏧の外側上部をすりあげるように打つよう聞いています。
本堂の裏に梵鐘の小さな形の喚鐘(かんしょう)が釣られおり、法会開始の時に打つ始めます。
お経を拝読する時に、音木(おんぎ)を使います。音木はかるく持ち平行に打ち合わせると聞いています。打ち方に1つ拍子、三つ拍子(中・小・大)がありお経の文字横に大・中・小の●印で打ち方が示されています。
 また大きな法会では楽人衆が奏でる雅楽も本堂内に満ちあふれます。
他にも葬儀式などで、引鏧(いんきん)、銅鑼(どら)、鐃鈸(にょはち)の鳴り物を使うお寺もあります。
お寺で使う鳴り物は、法会への合図であったり、始まりや終わりを示したり、共に読誦(どくじゅ)する拍子であったり、法会に集う共々が一緒に阿弥陀様を讃嘆する助けとしてあるようです。
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 妙華寺のお同行様の書かれた『惑わしの笛』(安津見磐著・小学館スクウェア)を昨年お贈りいただきました。本編に関係はありませんが、ペンネームに「磐」と名告られていて、音楽評論家でもあり、音を奏でるものに大変な思い入れがある方で、以前親御様の年回の時に、本堂の磐の写真を撮りたいと申された時の写真が、「あとがき」の部分に掲載されています。
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祖師寿のお祝い

高田派婦人連合大会で女性の祖師寿の方の表彰がございました。ご都合で出席できないお同行様へ表彰状と記念品が届きました。
改めて「祖師寿になられておめでとうございます。これまでと同様に親鸞聖人の「み教え」を共々お喜び申しましょう」
祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。
このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃいます。 来年は昭和3年(1928)生まれの方が該当になります。

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祖師寿の表彰状

先日の降誕会(5月21日)の祖師寿のお同行様(男性)へ表彰状と記念品が届きました。
出席していただきますと式典で表彰していただくことになりますが、ご都合で出席できない方へは、後ほど高田本山より菩提寺へお送り頂きます。
改めて、「祖師寿おめでとうございます。これからも親鸞聖人のお念仏の「み教え」を共にお喜びできることが有難いことです」
女性のお同行様の祖師寿の表彰は、6月5日(日)の高田派婦人連合大会で行われます。祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。

 

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