西本願寺の報恩講

西本願寺の報恩講
住職は初めて京都の西本願寺の報恩講にお参りする機会を得ました。
午前中に龍谷ミュージアムの「ほとけにしたがう仲間たち 眷属(けんぞく)」展を拝観しました。龍谷大学所蔵の「当麻曼荼羅」の調査で新しく発見できたことの紹介もあり充実していました。秋には「眷属」をテーマにした企画展も予定されていると聞きました。西本願寺のお斎(とき=食事)は、格式ある国宝の書院鴻之間(こうのま)でいただけます。西本願寺の開明社の皆様がおもてなししてくださいます。暖かい白みそが映えていました。また、お土産に、紀州みかんとお酒をいただきました。

【報告】高田本山報恩講

【報告】高田本山報恩講
10日、お同行様から「お七夜にお参りに行ってきました」と連絡をいただいていました。住職は、11日に高田本山にお参りに行くことができました。
お会いできた本山職員の皆様や法友に新年の挨拶を併せて立ち話をするのもお七夜の風景です。4年ぶりのお非時(ひじ=食事)もこれまでと同様美味しくいただきました。食堂(じきどう)でいただくお非時は用度講のみなさんがお作りいただいています。食前・食後食堂の内仏の前で手を合わせることが尊い姿ですが、今日はその姿を見ることができず残念でした。宝物館で報恩講の期間中の展示を拝見しました。専修寺の歴代にスポットをあて普段見ることが少ない法宝物が並んでいました。また、法宝物以外にも常磐井家に伝わる美術品も調査が進んでいるようで、初めて披露される品々に堪能しました。
境内には、竹あかりに使われるオブジェがあり、時間があれば夕暮れの色どりも楽しめるみたいです。高田本山でお同行の方々にも会うこともできた半日でした。
ご法話は、YouTubeで視聴しました。
14日の晨朝(じんちょう)のお勤めの後、妙華寺の副住職が「つねにわが身を照らすなり」と題して法話をお取次ぎさせていただきました。久居からは遠方で朝寒い時間にも関わらずお同行様にもご聴聞していただいたことありがとうございました。しばらくの間ですが、高田本山のYouTubeで視聴できるようですので、ご興味のある方はご視聴ください。

 

1月のお茶

1月のお茶は、新年の挨拶も兼ねている。床の間に「結び柳」を荘る場合が多い。
社中の初釜(初茶)や月釜、呼ばれたことがないが宗家(裏千家)での初釜、地域の新春祭での呈茶もあり、お茶に接する機会は多いが、中々参加する時間も取れない。

今はなくなったが、ある時期、高田本山のお七夜の期間、有慶堂で呈茶のお手伝いをする時があった。常磐井家の茶道具をお借りして、参詣者にお薄一服差し上げる時は、緊張の連続だったことは懐かしい思い出だ。

初釜の時の設えは、おめでたいもの・干支にちなんだものや、歌会始の勅題にちなんだものが取り上げられることが多い。ある12年間は、地元の万古焼の干支の茶碗を集めたことがあった。今は2度目・3度目の干支で活躍してくれている。

祖父母がいた頃は、2日は比較的時間があったので、家族でお薄をいただいた記憶がある。祖父の点前で、作法も知らない私にお茶をよばれる時の基本的なことを教えてもらいながらいただく薄茶は、最初は苦いだけだったが、何度もお相伴するうちに、ほのかな甘味や美味しさを感じるようになったのはうれしい。
母が元気なころに、正月荘りの茶室で私がお薄一服点て、差し上げることができたことも、私の中での良き思い出である。

【紹介】掛軸

お寺に、浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃 28首・29首が墨書された掛軸があります。

28首

阿弥陀仏の御名をきき 歓喜賛迎せしむれば

功徳の宝を具足して  一念大利無上なり

29首

たとひ大千世界に   みてらん火をも過ぎ行きて

仏のみ名を聞く人は  ながく不退にかなふなり

 

掛軸は、絹本で 専修寺第21世の常磐井堯熙が書かれました。

この掛軸を通して、真宗の「み教え」を伝えようとしていることは明らかです。

私(住職)もその和讃を味わうことができるように精進したいと思っています。

あなたにとってお寺とは

あなたにとってお寺とは
妙華寺は、多くの寺院と同じような檀家寺院ですので、檀家の年忌法要・お盆勤め・葬儀のお勤めが中心です。
宗教法人としての「目的」は、『この法人は、真宗高田派宗制により、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して公共の福祉に寄興し、その他この寺院の目的達成のために、必要な礼拝の施設、その他財産の維持管理その他の業務及び事業を行うことを目的とする』とあります。
宗教法人の「目的」に書かれているように、亡くなられた方の「いのち」を通して、親鸞聖人の「み教え」をお伝えているつもりですが、届いているのでしょうか。大切な方がなくなられることを経験して「人生」の無常に気づくことはありますが、そこから、阿弥陀さんの「はたらき」について関心を持つ方はどれくらいいらっしゃるでしょうか。拙い法話では伝わらないと言われればそれまでですが、自分自身の「生老病死」に向き合ってどのような気持ちで生活をされているのかとても興味があります。中には、「生老病死」は当たり前のことで「死」んだらおしまいと感じている方もいらっしゃると思います。しかし、大切な方の「死」を通して、阿弥陀さまの「願い」と「生」きる意味を、仏法から感じてほしいというのが私(住職)の願いです。

【案内】高田本山報恩講(お七夜)

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。

高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。
昭和の時代ですと、お正月が過ぎ、年明けの仕事が始まっていますが、お七夜に参詣して本格的に仕事に取り組まれるということをお聞きしたこともあります。

期間中は、多くのイベントが山内を中心に行われますが、宝物館(燈炬殿)では、お七夜期間だけの「伝燈 燈火を伝える歴代上人」展が開催されます。ご関心・ご興味がありましたら是非お立ち寄りください。

また、14日晨朝のお勤めの(7時)後、御影堂で妙華寺の副住職がお話させていただきます。朝が早いので、現地に行くことが難しい場合YouTubeでも配信されますので、ご視聴いただくこともできます。

お寺の1月

お寺の1月
お寺で生まれた私は、毎年お寺で元日を迎えています。当たり前といったら当たり前ですが、自分ながら驚いてしまいます。
子どもの頃の記憶はあいまいですが、高校生2年の時、友達と大みそかに(伊勢)神宮に行きました、元日に入った頃、お寺(自宅)に帰ってきた時も、5時30分からの修正会には間に合いました。その当時は、年末からの準備も楽しかったです。30日に家族で餅を搗き、ご本尊にお供えすることが目的ですが、その場で食するできたての餅が美味しかったことは今でも覚えています。修正会のお勤めが終わると、内仏さんで朝のお勤めを家族全員でしてから、元日の朝の食事が始まります。清酒に屠蘇散を入れたお屠蘇で、お雑煮は、おすましでした。元日の夜の「すき焼き」も今より質素でしたが記憶に残っています。祖父母がいる頃は、祖父の弟も参加してにぎやかでした。本堂の正月荘りを片づけるのが3日の夕方で、お供えのお餅を切り分けるのが大変でした。
母の妹家族が新年の挨拶に見えるのは、2日か6日以降が多かったです。以前は、3日と5日が組内のお寺の報恩講に伺っていましたし、4日は自坊の地区の報恩講で、少しゆっくりできるのが6日以降だったからだ。しかし9日から16日まで本山のお七夜が始まりますのでそうゆっくりもしていられません。そうこうしていると1月の下旬には、世話方会や以前は婦人会の報恩講と続いて、お寺のお正月(1月)が過ぎてしまいます。

※今は、3日5日の組内の報恩講が12月になり、世話方会の総会は4月に変更し、婦人会の報恩講はなくなり幾分時間がある1月です。

【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演

【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演
(共催 真宗教団連合三重県支部)
日 時 令和6年2月20日(火)開演14時(開場13時30分)
開 場 お城ホール(津リージョンプラザ)津市西丸之内23
観劇料 6,500円(全席自由席)

問い合わせ 法苑院 妙華寺 059-255-2846
お寺から、真宗教団連合三重県支部事務局へ連絡します。
※申し込み順で満席になった場合は、申し込みできませんのでご了承ください。

昨年は、三重県総合博物館で『親鸞 専修寺の至宝』展が開催され何度か足を運びました。
今回の演劇も、近くの会場で観ることができるのはうれしいことです。
ご興味・ご関心があり、ご都合がつきましたら是非足をお運びください。

【報告】修正会お勤めしました

【報告】新しい年の最初のお勤めを皆様ともにできましたことありがとうございました。
まだ暗い、朝5時30分と言う、少し早い時間からのお勤めにご参加いただきました皆様には感謝申し上げます。お寺の行事への参加が少なくなり、お寺や仏法が生活者の方にどのように捉えられているか心配がふくらむ時代ですが、前々住職・前住職の時から47年間修正会でお勤めができたことは、私(住職)にとっては、有難い時間です。
また、後何年お勤めができるのかわかりませんが、縁あるかぎり共にお勤めさせていただきたいと思います。
例年では、お屠蘇やお仏飯のおさがりを用意するのですが、昨年と同様今年も控えさせていただきました。
お勤めは、鎮国文・重誓偈・正信偈・現世利益和讃(15首)・繙御書で、平素高田派のお勤めで和讃は五首ですが、修正会では15首拝読するのが独特です。
修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。
ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝読する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。毎年拝読しながら、昨年1年を振り返りますと、過ぎ行く時間は早く、世務に明け暮れて、仏法に遇うことが難しいと反省ばかりです。

向かって左側の余間は、正月荘として、妙華寺の初代から11代の位牌や像・絵像を敬置します。

大間には、今年の繰り出し(年忌)を披露しています。

修正会を迎えた後、16時10分頃に震度3の揺れを感じました。令和6年能登半島地震での揺れです。阪神・淡路大震災の時の縦揺れは感じませんでしたが、長い時間の横揺れを感じました。揺れが収まり本堂に行くと、まだ吊灯篭や輪灯が揺れていました。
時間が経つ中、被害の状況も、徐々に明らかになってきています。
この地震で亡くなられた方にお悔み申し上げます。また、災害に遭われました皆様にお見舞い申し上げます。

この地震で、感じることは、修正会でお勤めします『鎮国文』です。親鸞聖人が真実の教えと仰がれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の一節です。

『佛所遊履(ぶっしょゆうり) 国邑丘聚(こくおうくじゅ) 靡不蒙化(みふむけ) 天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがつしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ) 災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうかむゆう) 崇徳興仁(しゅとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)』

と、説かれています。この文を分かりやすく換言しますと、

「仏が行かれるところは国も町も村も、その教えにさからうようなことはない。そのため世の中は平和に治(おさ)まり、太陽も月も明るく輝(かがや)き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は安穏(あんのん)にくらし、軍隊や武器をもって争うこともなくなる。人々は徳をもって思いやりの心で、あつく礼儀を重んじお互いにゆずり合うのである。」

とおおせられました。

このような尊い教えをいただきながら、悲惨な戦争や災害が繰り返されているのは、全く悲しいことです。私たちの家庭や日常生活を反省してみますと、親鸞聖人の”世の中安穏なれ 仏法ひろまれ”と申されるおことばがお念仏とともに力強く私たちの心に響いてまいります。

高田本山 ひとくち法話No97 ―諸法会5― より

法友

法友
親鸞聖人の「み教え」に興味を抱く友がいます。中高の同級生ですが、大学以降疎遠になっていました。同窓会で会えば話をする関係ですが、もう10年以上前に、彼のお父さんが亡くなられたそうです。父の葬儀をしてから菩提寺の住職に、親鸞聖人の「み教え」を学ぶことをすすめられたそうです。これまで、仏教に縁がなかった彼でしたが、高田本山で開催される夏の仏教講座に菩提寺の住職と共に聴聞されたそうです。それから、毎年高田本山の仏教講座や講演などに参加するようになり、高田短期大学の主催される仏教専科(2年で1クール)の講座にも毎回参加されています。高田本山での仏教講座や講演で顔を合わすようになり、仏教を学ぶきっかけや近状をお聞かせいただくことになりました。
もう1人の方は、同じ趣味の仲間で、退職後、市内の仏教を学ぶ会に参加されるようになり、高田本山での仏教講座などにも参加されています。京都の本願寺の聞法会館での講座の帰りにバス停で偶然お会いして、法を求める強さを感じました。二人とも自分の生活の中で聴聞する時間をつくられ、親鸞聖人の「み教え」を喜んでいらっしゃいます。私と会うのは年に数回ではありますが、仏縁に結ばれた法友であります。

もちろん、同じ仏教の道を歩む僧侶も、法兄・法友であり、親しくお教えをいただく師であります。索漠とした社会で生活をしていますが、仏の「はたらき」から気づくことはたくさんあると感じます。
自分の生活から離れているような仏教の教えでありますが、仏法に出遇うと、どうしても世俗の損得勘定で表現してしまいますが、私の生活がより豊かな気持ちになります。

※中川個人の感想です。

また、新しい一年が始まります。法友が増えるとうれしいです。