いのちの日

いのちの日
京都府では、(平成28年から)毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。

また、京都では、この趣旨に賛同した宗教者の活動の一つが「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」があります。宗教者でしたらどなたでも参加できるようですので時間が合いましたらお申し込みをして参加してください。(Life WalkのHPから申込)

行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、全国に「いのちの日」が広がることを願っています。

三重県こころの健康センター主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】三重県自殺対情報センター
059-253-7821(平日8:30-17:15・祝祭日・年末年始除く)

自死遺族サポート ガーベラ会主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】mail miegabera@gmail.com
HP http://www.miegabera.jp

茶陶

茶陶
私(住職)には、茶道具だけ作陶する知人がいます。彼との出会いは、お茶を学んでいる時代に青年部と言う組織で知り合いました。茶道具だけ作陶する家に生まれた3代目でした。裏千家に出入りする窯元で、当然、茶道具に詳しく見るべきポイントを教えてもらったり、歳も近く青年部活動の時代も重なり、親しくさせていただいています。

コロナ下の時間は、茶道の世界も「場」としての茶会や行事の開催がなく、そこに関わる1つの茶陶の展示会などの開催も中止が余儀なくされていたそうです。

本当に久しぶりに津市で展示会が開催され出かけました。長年会うことがなかっても、会えば自然と話すことが出てきてわずかな時間でしたが豊かな時間でした。

展示会では、いろんな茶道具が展示されていました。今回は、織部釉についてお話を聞きました。

美濃出身の古田織部が好んだ焼物が織部焼とも言われています。形がいびつであったり、斬新な文様であったり、釉薬も緑・黒など多彩であり、現代的な焼物で人気がある1つです。。その中で織部グリーンの茶碗がとても新鮮に見えました。
何か、京焼にも通じるような色合いと感じるのですが、織部なんだそうです。

祈りと願い

「祈り」と「願い」
言葉の学術的な意味までは調べていませんが、インターネットで「祈り」と「願い」の違いなどは簡単に知ることができます。あるページでは、「祈り」は利他、「願い」は利己と説明されていました。また、「願い」は「お願い」として依頼の意味もあるようです。
どうして、調べる気になったかと言えば、真宗では「祈り」はあまり使いませんが、「願い」は使います。真宗で使う「願い」は、私の「願い」でなく、阿弥陀如来の「願い」として使われています。

私が「願う」のでなく、「願われている」私に気づくことからはじまる教えです。

お別れホスピタル

前回のブログではラジオの番組のことを紹介しましたが、今回はテレビ番組からの感想です。

夜の時間はテレビを見てしまいます。
先日、NHKのドラマ「お別れホスピタル」を見ました。四回連続の三回目でした。終末医療の病院で「いのち」終えようとする人たちと関わる医療従事者のドラマです。少し重苦しいテーマで、いろんなことを考えさせられます。
「まだ生きたいと願う」患者や「生きていてほしいと願う」家族や医療従事者。生きたいと願うが、助けることができない「いのち」に納得する答えはないし、「限られたいのち」であることを頭の中では理解しているが、心(感情)が受け入れることができない状況。ドラマを見ている私さえ、混乱してしまう感情があります。
ドラマの中で発せられた「希望」や「サンタ」の言葉に思いを馳せました。

そして、突然ですが、対人支援の「キュア」と「ケア」について思い出しました。
何年か前に、医療現場での「キュア(治療)」と「ケア」の関係を教えていただく「スピリチュアルケア」について学ぶ機会がありました。ただ、医療現場に限ると「キュア」に限界があるので「ケア」が必要なことはわかりますが、私たちが生きている中では医療現場でも日常生活でもどのような状況でも「ケア」は必要なのだと改めて感じています。
※中川個人の感想です

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NHKラジオ第1「ふんわり」

NHKラジオ第1で「ふんわり」という番組があります。私(住職)はこれまで視聴したことがありませんでしたが、2月16日の番組内で、「自死」について視聴者からの投稿に、京都自死・自殺センター「Sotto」のメンバー(専門家)がお話をすることを知り、視聴しました。
私(住職)は、これまでも「自死」についての講演会や研修会には参加したことがありますが、ラジオ番組で「自死」について、どのように語られるか興味がありました。
一般的に、「自死」について語られる時、「自死」は良くないこと、やめなさい、死なないでという立場からの話になります。私(住職)も「生きていてほしい」思いで、「死にたい気持ち」を抱えた方に、そのような言葉をかけたこともあります。
でも、京都自死・自殺センター「Sotto」の考える「自死・自殺」についてメンバー(専門家)の言葉から、「死にたい気持ち」を抱えた方は、「死ぬしかない」「生きているより死ぬほうが楽になる」ほど「生きること」の辛さや悲しみを抱え込まれていることに目を向けると、その方の思いを私の価値観でジャッジすることはとても高慢な思いであるのかと感じました。また、「自死」に限らず、大切な方を亡くした遺族や関係者の思いで、自責や後悔を抱えることも確かだと思います。私も父母や妹を亡くした遺族として「生きているうちにもっとできたことは無かったのか」と省みるのですが、例えば、明日「いのち」が終わることで今日できることを考えた時、限られたことしかないのかもわかりません。
1人の出演者の「思い出すことが供養になる」という言葉が、印象的でした。亡くなった方と今の自分が向き合うことができているか問われているように感じました。
番組名の「ふんわり」な雰囲気やリスナーからの感想や思いなどの紹介もあり、とてもあたたかな気持ちになりました。日本の一年間の自殺者数は、以前に比べると少なくなり、二万人台ですが、「死にたい気持ち」になることは、誰もが起こりえる気持ちであり、恥ずかしいことでもなく、その気持ちを吐き出すことからはじまる生き方を支える活動に頭が下がります。

私(住職)は、ラジオ番組を聞く時、とっても失礼な態度かもわかりませんが、「ながら聞き」になってしまいます。学生だった時も、勉強をしながら、社会人になっても、車で運転しながら、家でも何かをしながら聞いてしまっています。でも、今は、聞き逃し配信(一週間限定)なるものがあります。もう一度しっかり視聴しようと思っています。
※中川個人の感想です。

真宗入門講座

真宗入門講座
昨年から高田本山に伝わる「親鸞伝絵」の紹介で「信行両坐」の段でした。
詞書には、法然聖人の教えに集まる多くの門弟に、親鸞聖人が、「阿弥陀仏の本願を信ずる一念に浄土往生が決定すると信ずる(信不退)の坐と、念仏の行をはげむことによって、その功徳によって浄土往生が決定すると信ずる(行不退)の坐に、どちらにするか、おのおのの態度をお示しください」とあり、絵相は、法然聖人を中心に、信不退の坐に、聖覚、信空、親鸞と、遅れて駆け付けたと思われる法力が描かれ、行不退の坐に多くの門弟が描かれています。

「信と行」についてを「一念と多念」で語ることは、法然聖人の生きた時代性も考える必要もありそうです。念仏とは観想念仏が主で称名念仏は主ではなかった時代です。
また、「信と行」も阿弥陀さんから賜った「信行」であることもおさえておかないとすっきりしません。「信行両坐」は、親鸞聖人が法然聖人の教えをそのまま受け継いだことをあらわしている場面の一つとして紹介されているのでしょう。

※次回は、3月26日(火)13時30分からです。妙華寺の副住職が「信心諍論」の段を紹介します。

お寺とは②

お寺とは②
多くの日本人が、年に一度か二度(お盆やお彼岸)、墓参をすることは、知られています。妙華寺の境内墓地でも、春秋のお彼岸やお盆の時は多くの方がお墓参りをされています。そして、帰り際、本堂に向かって手を合わせる姿も多く見受けます。
しかし、本堂の中まで入り、手を合わせる方はやはり少ないと感じています。
本堂に入るには、入り口で靴を脱ぎ、階段を上がらなければいけないので、億劫なこともうなづけます。「お寺は敷居が高い」って言葉もありますよね。
本堂は何のため、誰のためにあるのでしょうか。本堂での葬儀や年忌のお勤め、お寺の行事の時に集まっていただく場合がほとんどですが、本来は、真宗ではあまり使わない言葉ですが、祈りの「場」であり、真宗では、仏(阿弥陀如来)のいわれを聞法する「場」から発生したものだと思っています。「場」に集まることで関係性が強まることも感じるのですが、今は、自分の生き方を宗教に求めることなく日常生活が営まれている時代なのでしょう。日常生活の問題についての解決の「場」は、お寺以外でたくさんありますが、自分の生き方や悩みを話したり、気づいたりできる「場」の一つがお寺だと思っていますが、皆さんはどう思われていますか。
1人でも今の自分の生き方に迷い、阿弥陀如来の教えを求める方に、「場」が開かれています。

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【案内】仏涅槃図の荘厳

【案内】佛涅槃図を荘厳しています
佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた2月15日の涅槃会で本尊とされます。
平成24年から、妙華寺では、2月15日から1ヶ月間、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けしています。
妙華寺所蔵の佛涅槃図は、江戸時代の久居の大火で焼失しました。
今お掛けしていますのは、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されましたものです。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。
本堂にお上がりいただきお詣りください。

※また、高田本山では、3月15日頃に如来堂にて佛涅槃図がかかります。(詳細は高田本山のHPでご確認ください)

祖師寿の案内

祖師寿のご案内
お同行の皆様のお喜びの1つに親鸞聖人90歳のご生涯で、90歳のお年を迎えられるお同行様を「祖師寿(そしじゅ)」祝いとしてお同行の皆様の仏縁を共にお喜び申し上げています。
男性は降誕会(ごうたんえ)の5月21日に、女性は6月の最初の日曜日に開催されます高田派婦人連合大会の式典で表彰されます。 このことを励みにされていらつしゃる方もたくさんいらっしゃるようです。
令和4年年末に発行しました寺報(41号)に祖師寿を受けられました方の喜びの声を掲載してあります。

今年は昭和10年(1935)生まれの方が該当されます。
該当されます方は、妙華寺に3月末までにお申し込みください。お寺から高田本山へお伝えいたします。
賞状と記念式章が贈られます。

お釈迦さまって誰?

【仏教とはいったいどんな宗教なのか?】
今からおよそ2,500年前、お釈迦(しゃか)さまはこの現実の世界を「苦」であるとみきわめそれを乗り越える道を示しました。
日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのでなく、それらを正しくみつめ「今を生き抜く」ための智慧(ちえ)へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦さまの説いた教え、仏教なのです。
日本に伝わってから1,500年余り。仏教はこの国を見守ってきました。光を見失った多くの人が救いを求めている今こそ仏教の教えを見直してみませんか。

【お釈迦さまって誰?】
仏教の開祖、お釈迦さま。恵まれた環境で生まれ育った王子が、なぜ、修行の道を選んだのか?その足跡をたどると、お釈迦さまの教えが一層くっきり見えてきます。
01 誕生
紀元前5世紀ごろ、ヒマーラヤ山脈のふもとにカピラヴァストゥという、シャーキャ族の城がありました。そこで王子として生まれたのが、ガウタマ・シッダールタ、のちのお釈迦さまです。生まれてすぐ、母は亡くなり、シッダールタはおばに育てられることになりましたが、豪華な宮殿での生活は不自由のない、とても恵まれたものでした。 その一方、繊細(せんさい)で感受性が強い性格で、「人間はなぜ、苦しみから逃れられないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。
02 出家
ある日、シッダールタは城の外へ出てみました。そしてそこで、老人や病人、死人、修行僧に出会いました。こうした人に出会うなかで、「人間は老いることや病気になること、死ぬことは避けられないのだ」と知り、修行の道を歩むことを決意。父の反対を押し切り、29歳で出家しました。

03 さとり
シッダールタは北東インドにあるマガダ国に行き、ふたりの師について修行をしましたが、あっという間に師の教えを理解したので、修行に満足できなくなってしまいました。そこで、師のもとを離れ、5人の修行者と一緒に苦行を開始。42日間も断食したり、意識がなくなるまで息を止めたり、とても厳しい苦行を6年間行いました。しかし、シッダールタはまだ、人生の真理を見つけることができません。「苦行では、自分の求めるものは得られない」と知った彼は、35歳のときに仲間と別れ、少女の供養した乳粥(ちちがゆ)を受けた後、菩提樹(ぼだいじゅ)のもとで深い瞑想(めいそう)に入ります。 煩悩が悪魔として現れて、瞑想の邪魔をしようとしますが、それでも彼は深い瞑想を継続。そして明け方、シッダールタは心の迷いから抜け出て、さとりを開くことができたのです。こうしてシッダールタは、「ブッダ(=目覚めた人)」となりました。

04 布教
さとりを得たブッダのもとへ、ブラフマンという神様が現れ、「あなたのさとりをこの世の人たちに伝えなさい」と言いました。「人々に説いても理解してもらえないだろう」と渋っていたブッダですが、ようやくその願いを受け入れて人々に教えを説くことを決意します。最初に訪れたのは、かつて、一緒に修行をしていた5人の仲間がいるサールナートでした。そこで最初の説法を行ってから、さらなる旅へ。弟子の数もどんどん増え、やがて仏教教団ができあがりました。

05 入滅
さとりを開いてから45年が経ち、ブッダは80歳になりました。いつものように弟子を従え、教えの旅に出かけましたが、旅の途中でブッダは体調を崩します。自分の命もあとわずかとさとったブッダは、クシナガラという村に到着すると、二本のシャーラ樹の間に床を敷いて横たわり、静かに最期のときを待ちました。そして、悲しむべき弟子達に「すべてのものは無常であり、つねに変化しているのです。これからも一生懸命、修行を実践しなさい」と語りかけ、生涯を閉じました。

【「とってもやさしい はじめての仏教」 公益財団法人仏教伝道協会より】