【案内】終活カフェ3月20日(水・祝)15時から

【案内】終活カフェ(どなたでも参加できます)
3年ぶりに、中村行政書士事務所のお力を得て「終活カフェ」を開催します。
①9月23日(土・祝) 秋彼岸会終了後15時頃から17時頃    終了
②10月28日(土) 秋千部会終了後15時頃から17時頃    終了
③令和6年3月20日(水・祝) 春彼岸会終了後15時頃から17時頃

※3回とも違うお話です。
※ご参加いただく方に「これからの供養のかたち」井出悦郎著 祥伝社新書を
お渡しします

仏涅槃図について

仏涅槃図について
本日15日まで妙華寺の西余間(向かって左側の余間)仏涅槃図が、に荘厳されています。

仏涅槃図について紹介します。
「涅槃」は、梵語でnirvana と書き、吹き消すこと、消滅の意をあらわし、転じて、煩悩を滅却して絶対自由になった状態をいい、さらに進んで、釈迦または聖者の死を意味するようになった。
釈迦の入滅の時期については、紀元前543年ごろ・同483年ごろ・同383年ごろとするなど諸説があって一定しない。釈迦は29歳のとき出家し、まず山中に入って6年間苦行生活を送ったがその空しさを知り、ボードガヤーの菩提樹の下で静かに瞑想をこらして、ついに前人未踏の悟りを開いた。以後40余年間、インド各地を巡歴し多くの人々を教化、ヴァイシャーリー近くのヴェーヌ村に至って重い病にかかった。一説によると、この病はパーパー村の鍛冶屋のチュンダの捧げた食事で中毒したのだという。病は一度回復したが、再び重くなり、クシナガラのキレン河のほとり、沙羅双樹の間で入滅した。涅槃図はこの場面を描いた図である。
涅槃図の典拠となる経典等の類には、40巻本『大般涅槃経』・『大般涅槃経後分』・『仏般泥洹経』・『長阿含経』・3巻本『大般涅槃経』・『般泥洹経』・『摩訶摩耶経』・『仏母経』・『仏所行讃』・『仏祖統紀』等があり、日本の涅槃図を理解するには、恵心僧都と明恵上人の撰した両『涅槃講式』が重要な位置を占める。
日本では、涅槃に関係した美術作品は、ほとんどが絵画で、彫刻はきわめて少ない。全体に日本では仏伝美術(釈迦の伝記にテーマにした美術)はあまり発展しなかったが、それは日本の仏教がほとんど大乗仏教として受容されたことと関係があるらしく、仏伝美術は、釈迦の誕生を誕生釈迦と称して彫刻であらわし、釈迦の死を涅槃図と称して絵画であらわすことによって、仏伝を釈迦の生と死の二大事件で代表てしまった感がある。そして、誕生仏と涅槃図は、日本で発展した仏教のすべての宗派が、寺の必需品として寺ごとに備え、誕生仏は、4月8日の灌仏会の、涅槃図は2月15日の涅槃会の各本尊として用いたので、今日まで残る作品は両方とも多く、とくに涅槃図は現存する仏画のうちで、もっとも多い。従って優品もまた豊富に残っている。
【日本の美術9】より

【案内】春彼岸会は3月20日午後1時30分から

【案内】
讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」とおっしゃってみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。

法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

3月20日(祝・水)午後1時30分からお勤めをいたします。
浄泉寺の戸田栄信師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

法話終了後、秋彼岸会・秋千部会でご協力いただきました行政書士の「終活カフェ」を③回目を開催します。ご関心のある方はご参加ください。

東日本大震災から13年

東日本大震災から13年
今年は、元日に令和6年能登半島地震が起こり、あらためて地震について考えさせられます。私(住職)自身が地震の揺れが大きいと感じたのは、阪神淡路大震災の震度4です。ベットで寝ている時間で、縦揺れを感じ、横揺れになりました。東日本大震災は、震度は2程度と思いますが、長期の横揺れに少し気分が悪くなるような感じでした。
今年の能登半島地震は、縦揺れから横揺れで、地震が収まってから本堂に行くと、天井から釣り下げてある輪灯などがゆれていました。熊本地震は揺れを感じませんでした。他にも、揺れを感じた地震もありましたが、それほど身に危険を感じることがありません。これまでの私の経験した揺れでは、本当の地震の恐ろしさは経験していないのと同じだと感じています。

ですが、自分事として、災害が起きた時に「お寺としてできること、宗教者としてできること」を、考えることも大切だと感じています。しかし、私の中で、いつ来るかわからない災害に、ある時、緊張が薄れてしまうことも現実です。

その時、自分にできることをすることを継続していきたいです。

 

東側駐車場 ご利用いただけます

東側駐車場 ごl利用いただけます
1月下旬からしばらくの間、ご迷惑をおかけしていましたお寺の東側駐車場のコンクリート打設が終わりました。 以前のようにご利用いただけます。


先日、お寺で使う香を求めました。
お寺で使う香は沈水香木を刻んだもので、私(住職)は、伽羅(きゃら)や沈香(じんこう)・白檀(びゃくだん)しか知りませんでしたが香のカタログを見ていましたら、アフリカやアジアの国々に18種類もあるようです。丁子・甘松(かんしょう)・桂皮・竜脳・麝香の名前は、聞いたことがありますが、香に入るとは思っていませんでした。初めて聞く名前が10種類もあり驚くばかりです。
これらを刻んで、調合したりすると多くの薫りが生まれるのでしょうね。「聞香」と言葉がありますが、私(住職)には、聞き分けることは難しそうです。

日本には、仏教伝来とともに香がはいってきたようで、仏教儀式に使われていたようです。桃山時代に香道の規矩が整い、江戸初期に完成の域に達したようです。線香の製造技術は、江戸時代に中国から伝わり、広く普及して今に至ります。

お寺とは③

お寺とは③
生活者から見えるお寺とはどのようなものでしょうか。
生活者とお寺がかかわることはどのような時でしょうか。
小さいころに生活圏にお寺があって境内に入ったことなどはあるかもしれませんが、お寺の住職(宗教者)とかかわるのは、生活者自身の大切な方が亡くなった時に葬儀を依頼することが最初ではないでしょうか。
多くの場合、亡くなられた方の葬儀の前に枕勤めや通夜があり葬儀の後、初七日など続けてお勤めがあります。中陰49日や初盆そして一周忌や三回忌と亡くなられた方の法要でお寺との関係が構築されてきます。生活者は亡くなられた方の供養としてお勤めをする認識ですが、住職(宗教者)は、亡くなられた方の「いのち」終える姿を通して、仏教や宗祖(親鸞)の教えから仏徳讃嘆させていただいています。
ですので、生活者が亡くなられた方の「供養」についてどのように感じるかで、お寺への関わり方が違ってくるようです。
また、これまでの「志」や「布施」についての認識も、お勤めをサービス業的な対価として認識されるような変化も感じます。
生活者がお寺をサービス業として関わるのであれば、宗教法人の「目的」である、『この法人は、真宗高田派宗制により、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して公共の福祉に寄興し、その他この寺院の目的達成のために、必要な礼拝の施設、その他財産の維持管理その他の業務及び事業を行うことを目的とする』に向かうことは難しいでしょう。
更に、サービスと捉えられると、対価への評価や不要と考えられれば、サービスを求めない選択肢が生まれます。また、お寺と生活者の関係も、これまでと違い、家単位でなく個人単位の関係となると感じています。

これから、仏教も日本文化として捉えてみると、必要とする方だけのもになのかもわかりません。茶道や華道・書道・武道など多くの日本人が「道」として身につけていたものとして、興味や関心がある方しか目をむけないものに向かっているようにも感じます。

新たな視点で、仏教や真宗の教えを求める方もいらっしゃいます。お寺や住職(宗教者)に、社会貢献とかソーシャルキャピタルの視点で、またお寺を観光や文化的資源として応援をしてくださる組織や個人も増えているように感じています。
「おてらおやつクラブ」「災害時の宗教施設の開放」「福祉仏教からの寺院活動」「久居城下案内人の会の活動」などに賛同して、妙華寺でも取り組んでいます。

昔のお寺や住職(宗教者)のイメージだけでない、新しいイメージも伝える必要が大切であるようです。しかし、多くの生活者は、お寺や宗教者にそれほど期待をしていないことも現実です。

3月のお茶

3月のお茶
3月は、ひな祭りや卒業をお祝いしてのお茶がふるまわれたりします。裏千家では、炉から五徳を外して、釣り釜の点前の月でもあります。柄杓を釜に据える時にゆれる風情をどのように感じるかも面白いです。3月28日の利休忌に卒業や新しい人生のスタートを利休居士に報告するのも茶人にとってはうれしい時間です。

お寺の茶室は、祖父がお茶を楽しんでいたこともあり、昭和48年に祖父が建て替えた書院の一室(四畳半)に炉が切られました。また、祖父母が晩年居住していた家屋にも四畳半の茶室があり、親戚や家族でお茶をいただきました。平成22年に祖父母の居住していた家屋の場所を茶室として立て替えました。裏千家のメインの「咄々斎」写しの茶室と、祖父の四畳半の茶室の写し(床の間の床柱や明り取りなど同じ形)の間に水屋も作りました。

お寺の3月

お寺の3月
少しづつ春を感じる頃です。最近は、杉花粉の話題が多く、アレルギーの方には大変な時期だと感じています。妙華寺では、春彼岸のお勤めは春分の日にしていますが、お彼岸入りの頃からお墓参りに来られる方も多くなります。以前は、彼岸桜が咲く時期でしたが、今は、彼岸桜が2月の終わりには咲ききり、吉野桜も3月末頃に満開になる年も増えてきました。
宗教法人の年度末になりますので、下旬になると会計処理に時間がとられます。また、4月からの新年度への準備もまとめなければなりません。

※雨の影響で2月27日に境内駐車場のコンクリート打設が終わりました。一週間ほど養生して使用できます。ご迷惑をおかけしていますが、あとしばらくお待ちください。

3月の日曜学校は3日午前7時30分から

少しづつ春の日差しも感じますが、健康管理が難しいですね。
3月の日曜学校は3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(嘆仏偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。

また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

風邪の症状や熱のある方はご遠慮願います。
マスクの着用は、個人の判断です。(お持ちでない場合お寺にお申し出下さい)
本堂入口に手指の消毒を行っていただき、うがいや手洗い場所も用意しています。
手が触れる出入り口のアルコール消毒もこまめにしています。
本堂内の換気・間(ま)の確保などして対策を講じます。
とはいえ、決して不安や不満を抱えながら参加する催しでもありません。
どうかご無理ない範囲で判断をしていただきますよう、よろしくお願いいたします。