四季の花

四季の花 報恩講も無事終わりました。境内の銀杏のもすっかり落葉しました。これから5月頃まで枝木の姿です。落葉した銀杏の葉を少し乾燥させるて本に挟んでおくと本の保存が良くなるとかお聞きしました。

12月に入っても裏庭の紅葉は紅葉しています。もう20年になるでしょうか12月の報恩講の時も見頃です。

今年も報恩講をお勤めできました

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今年はとても穏やかな一日となりました。昨年から12月第1日曜日に変更になりました妙華寺の報恩講を組内の法中様とお勤めしました。
今年は、おてらおやつクラブのご縁でお非時のご奉仕を津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様でしていただきました。
ごども食堂も兼ねていましたのでいつもよりお子さんの笑顔も拝見できました。お非時の後、仏さまに手をあわせる子どもさんの姿が印象的でした。毎年お非時を楽しみにされている方々も新たなメニューを喜んでいらっしゃいました。ご奉仕していただきました皆様には何分初めてで慣れないことだったと思いますが今後もよろしくお願いします。後日会長様と反省点を確認して今後に活かしていきたいと思います。

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27組の報恩講ではずいぶん以前に組内で初夜のお勤めの稽古していました。それからお勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の初段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。

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ご法話は、娘の縁で西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授の葛野洋明(かどのようみよう)師に初めてお願いしました。真宗門徒では当たり前のように感じていることを、先生が海外布教に行かれての経験を交えて阿弥陀様の願いを丁寧にわかりやすくお話いただきました。
ご法話の後、ご聴聞された方々に、親鸞聖人像を内拝していただき、余間の絵伝も近くで見て頂きお帰りしていただきました。短い時間ですので詳しい説明はできませんでしたが、説明文を配布させていただきました。
絵伝の絵解きを12月24日に予定していますのでよろしくければお越し下さい。

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行事が終わり次の日にお供えを下げて、小分けしながらお手伝いしていただいた方々へお礼(後礼)とおすそ分けをさせていただいています。それが済みますと今年も報恩講を無事お勤めさせていただくことができたと喜んでいます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々を頼りにしています。行事の30分前に梵鐘を鳴らして案内をしていただきます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。行事が終わりますと、仏旗や幔幕・案内看板・帳場の片付けなど手際よくしていただきます。今回はいつも帳場のお手伝いをしていただいていますお一人が一週間前にご往生されました。ご家族がいつもお寺に行くのを楽しみにしていましたと葬儀の後、仰られていました。
また、お非時のご奉仕をしていただいた津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様には後片付けまでしていただき重ねてお禮申し上げます。
皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

お寺の行事は毎年同じ形でありますが変化している部分もあります。果たして行事が同じ形で次の世代に伝わるのか私(住職)には想像がつきません。私が知り得る中でも終了した行事もありますし、復活した行事もあります。その時代の中でお寺とはどのような存在なのか、お同行様が何をお寺に求めているのか。お寺としてできることとできないこといろんなことを考慮しながら次の世代のことも考えたいのですが、今できることをしていくしかないと思っています。

12月の日曜学校

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12月の日曜学校も「絵解きってなあに」から紹介しました。
ありがたい方々の「絵解き」
仏教の歴史上には、その時代の思想や文化に大きな影響を与えた「ありがたい方々」がたくさん登場します。今で言うカリマス的な人たちです。かつて人々は、「ありがたい方々」を、仏さまや神さまと同じように篤く敬いました。例えば、仏教を日本の国教に定めた聖徳太子が、救世観音の化身として崇められ、また東大寺の大仏造営に活躍した行基が、菩薩と称えられたのは有名です。人々は彼らが亡くなってからも、その生涯を後世に語り継ぐために、伝記をまとめ、絵に表しました。絵で表した伝記を「絵伝」といいます。特に鎌倉時代には、法然聖人や親鸞聖人など、新しく宗派を開いたお坊さん、すなわち、祖師に対する信仰が高まり、祖師絵伝が競うように作られました。絵伝の「絵解き」を聞くことで、宗派の成り立ちを学んで、信仰の思いを一層深めたわけです。

お寺と神社の「絵解き」
お寺や神社の成り立ちやご本尊の霊験、過去にそこに起こった出来事を知れば、きっとお参りしたくなるでしょう。またせっかくお参りにこられた方々には、ぜひともちゃんと由緒ゆかりを知って帰ってもらいたいものです。どうやってそれをお伝えしたのでしょうか。まず絵巻物です。説明に文章だけでなく、見どころ聞きどころを描いた挿絵が魅力的です。大人数を相手にするならば、小さい絵巻物よりも大きな絵が便利です。境内の見どころを一目で説明できる参詣曼荼羅や、本尊にまつわる物語を詰め込んだ縁起絵は、文字による説明はないけれども、「絵解き」によって次々と魅力ある話が聞けることでしょう。そして、特別な姿のほとけさまにも注目です。普通とはちょっと違う手の形や持物、光背や台座の意匠は、特別な霊験をもつほとけの目印です。片手に地蔵菩薩のような錫杖を持ち、盤石をかたどった四角い台座に立つ十一面観音ならば、長谷寺の本尊。千手観音の中でも、左右の一番上の手を頭上に重ねて如来像を載せているのは、清水寺のご本尊、といった具合。いまよりずっと旅することが難しかった時代。ぜひとも霊験あらかたなほとけを拝みたいという思いは、特別な姿を写した像を造ることにもつながりました。

旅する「絵解き」
諸国を旅した「絵解き」は「熊野比丘」と呼ばれた尼さんたちです。彼女たちは熊野観心十界曼荼羅や那智参詣曼荼羅などの「絵解き」をしながら街から街へと旅していました。「絵解き」することで熊野三社へのお参りを勧め、お金を集めるのが彼女たちの主な仕事です。集めたお金は、寺社の運営や修善の費用に充てられました。こうした活動を「勧進」といいます。そして、お金をくれたお客さんには、霊験あらたかなお札・牛玉法印など、熊野ゆかりの品々をプレゼント。絵画の中の描かれて人たち、みんな本当に楽しそう。こんな作品の「絵解き」を聞いたら、きっとあなたも旅に出たくなっちゃいます。
今を生きる「絵解き」
人がだれかに物語る。それはいつの時代の誰にとっても、「いま」「ここ」で起こる出来事です。2つの角度から、今につながる「絵解き」のその後をお伝えします。
ひとつめは、「絵解き」された物語が、狭い意味での絵解きの枠を離れ、さまざまな分野に進出していくという動きです。今でも人気の小説がね映画やアニメになったりしますが、昔から同じようなことがあったのですね。とりわけ人気が髙かったのは、道成寺縁起です。「絵解きの」物語が他の分野に進出していった早い例である能と、その能に題材をとって演出を加えていった歌舞伎があります。人気の役者が演じる歌舞伎の舞台は、さらに浮世絵などななって広まっていきました。
ふたつめは、いまなお語り継がれる「絵解き」人が肉声で語り聞かせることの魅力は、人と人を繋ぐものとして、観光や町おこしの面でも今新たに注目されています。

※今日12月3日の報恩講では、西余間(本堂の向かって左の余間)に4幅の親鸞聖人絵伝を掛けます。ご法話終了後に、間近に見ていただくことができます。
※妙華寺では、『お寺で体験』の講座で12月24日に親鸞聖人絵伝、2月25日に涅槃図の絵解きを予定しています。

四季の花

四季の花 報恩講を前に境内の銀杏や紅葉がきれいですが、一夜のうちに銀杏が落葉しました。秋から冬へ季節は変わってきました。

12月の日曜学校は3日です

今年最後の日曜学校は12月3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)


※正月は一日午前5時30分より修正会(しゅしょうえ)をお勤めします。
日曜学校は、2月4日午前7時30分からです。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第25回】親鸞聖人のご臨終
人間としてこの世に生まれてきたからには、いつの日か、ある日例外なく突然死ななければなりません。人の死については昨日も聞き、今日も見聞きしているのですが、死をほんとうに自分のこととしてとらえることは難しいようです。
親鸞聖人の臨終はいかがだったのでしょうか。
聖人は晩年、京都から関東の弟子たちに往生浄土が近づいたことについてお便りをしてみえます。現代の人に最もわかりやすいのが、高田派の「親鸞伝絵(でんね)」や本願寺派の「御伝鈔(ごでんしょう)」でしょう。
それらを要約し意訳してその内容を紹介しましょう。
聖人は弘長2年(1262年)いささか、いつもと違って健康がすぐれなくなられ、それからは、口に世間のことなどを話さず、余分なことを語らず、ただ、仏恩の深いことだけを語られ、もっぱら念仏称名の声がたえることなく、11月28日のお昼過ぎ、ついに亡くなられました。御歳90歳でしたと記録されています。
ご臨終の枕辺には数少ない直弟と末娘の覚信尼さま、次弟の尋有さまがおられたぐらいのさみしく静かな場であったと思われます。
さて私たち真宗のみ教えを心の糧として生きる者は、この聖人のご生涯をしのび、ますます聞法の道に精進して参りましょう。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

報恩講(ほうおんこう)
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として厳修されます。
高田本山では1月9日から16日までの7昼夜にわたっての法会で「お七夜さん」の名で親しまれています。妙華寺では、以前は12月14日から16日に勤めていました、現在は、12月の第一日曜日にお勤めしますので、12月3日です。
文字通り報恩講は、聖人にお礼を申し上げる法会です。それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)である私は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に墜ちて当然でありますが、他力念仏の大道をお教えいただくことにより、お浄土に往生させていただく身になるからです。
聖人は、「この強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(あ)い難(がた)いこと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし
師主・知識の音読は  骨をくだきても謝すべし
と述べられました。
阿弥陀如来が「わが名を称えるものは、必ずお浄土に往生させます」という超世(ちょうせ)の願い(大悲)を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国(さんごく=インド・中国・日本)の七高僧(知識)が正しく伝承されて、「南無阿弥陀仏」が私に届けられたのであります。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、詳しくお示しされたのが真宗の教えであります。聖人は、このご縁はなにものにも代えることができない尊いことで「身を粉にしても、骨をくだいても報謝すべし」と最大級のお言葉で申されました。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯をわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです) また、聖人の宮殿のお戸帳も外して聖人像がいつもより拝顔できる喜びもあります。(高田本山では15日の初夜のお勤めの後、内拝と言って出勤法中が内陣でお焼香をさせていただきます)
昨年よりご法話修了後、内陣の聖人像を内拝していただき西余間の絵伝を拝見してお帰りいただく予定です。

 今年は、西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)洋明(ようみょう)師にご法話いただきます。葛野(かどの)洋明(ようみょう)師は、西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授です。また高田派の若い布教使の育成に助言されています。今回は、衆徒(娘)のご縁で、妙華寺でご法話をいただきます。一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

妙華寺では、年5回の行事のご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

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中陰逮夜忌

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。

妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケァする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

四季の花

四季の花

11月の下旬になり寒さを感じています。銀杏も徐々に紅葉しています。
ドウダンツツジも紅葉しました。これから本格的な冬が訪れる気配です。

11月のおてらおやつクラブ

11月のおてらおやつクラブ 16日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。支援団体様へは12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました時におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

 

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は得しめたる
信心の智慧に入りてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

釈迦弥陀の二尊の大慈悲によって 私どもは大菩提心を頂くことができた
は即ち、如来より賜る信心の智慧であって この信心の智慧を得ればこそ、仏恩を感じてこれに報い奉ろうとする身とはなるのである。

願作は、仏になろうと願う心

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

 

『正像末法和讃』第33首
「釈迦弥陀の慈悲よりぞ」の表現は、国宝本にも文明本にも「釈迦弥陀」となっております。こういう場合は「釈迦弥陀二尊」「二尊一致」ですから、この「一」に着目しておいでになるのだと思います。こういう聖人のお言葉というものは、ご恩を感じての深いおもいです。「釈迦弥陀」「弥陀釈迦」と、弥陀のなかに釈迦が生きつづけておいでになる。われらに慈悲をもたらしめたもう二尊のご恩のかたじけなさを詠っておられるのであります。「釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる」、「願作仏心」というのは、前に何度もでてまいりました「浄土の大菩提心」であります。「仏になりたいと思って弥陀の誓いを信ずる心」、これが「願作仏心」です。国宝本の左訓に、「われをしてほとけにならしめたまえと、ちかいをしんずるこころ」とあります。「釈迦弥陀二尊の温かい、こまやかなおはたらきによりまして、私の身に願作仏心をたまわることになりました」と。そうしてその「願作仏心」のことを言葉をかえて、つぎに「信心の智慧にいりてこそ」、国宝本左訓には「弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに、信ずる心のいでくるは智慧の起こると知るべし」とありまして、「信心となって生きて働く智慧に入ることができてみますと、仏のご恩を報ずるというよろこびがわいてきたのであります」と。「仏のご恩を報ずる身」とならなければ、これはわが身に何ごともおこらなかったということです。聖人が「正信偈」をお作りになるときにも、「知恩報徳の為に」「恩を知りて徳を報ず」「仏恩の深遠なるを信知して」といっておられます。だから、仏恩を報ずる心がおこったことが、信心だということです。信心のしるしということは、ご恩かたじけなしという思いがわが身におこってくることです。ご恩を感ずるということは、わが身には、ほこるべきものは何もないということです。自我妄執が砕け散るばかりです。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】