『お寺で体験』の4回目は、12月24日(日)午前10時から11時30分の予定です。

4月から開催しています『お寺で体験』の4回目は、12月24日(日)午前10時から11時30分の予定です。
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
今回の会場は、本堂の西余間です。
毎年報恩講の時に本堂西余間に掲げる4幅の親鸞聖人絵伝を拝見しながら「親鸞聖人絵伝の絵解き」を潮音寺住職 村上英俊師にお願いしています。「絵解き」を実際体験する機会は少なく私(住職)も楽しみにしています。

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27組(そ)の報恩講

 

27組の報恩講
今年の27組の報恩講は、10月29日の満誓寺様の報恩講で台風22号の影響で雨の日になりました。これまで満誓寺様の報恩講は、10月と言うこともありますが、晴れた日で時には暑く感じる中でお迎えしていました。組内の5ヶ寺のお勤めの前に小降りなり、今年最初の報恩講の出仕です。毎年の事ですが最初の一声は緊張します。還暦を過ぎてからは今後どれだけ報恩講に遇うことができるか思うことがありますが、丁寧にお勤めをさせていただきたいと改めて感じています。


11月5日の光蓮寺様の報恩講は遠方の葬儀になり急にお勤めに行くことができずご迷惑をお掛けしました。
11月19日は西向寺様の報恩講でした。例年より寒い日でしたが、境内の四季桜は満開でした。西向寺様の「親鸞聖人絵伝」は2幅掛けです。一度ゆっくり拝見をさせていただきたいと思います。書院の前門様の「光壽」の掛軸は大きな字体で迫力がありました。また、組内の1ヶ寺の合併の手続きが行われたことの報告もありました。こんなに近くにお寺の運営が難しい事例を知ることになり学ぶべきことがあります。


10月23日は、妙華寺に一番近い西林寺様の報恩講でした。とてもお同行様の参詣が多くてこれまでのご教化が実っていることを改めて学びたいと思っています。西林寺様の「親鸞聖人絵伝」は2幅掛けです。こちらもゆっくり拝見させていただきたいと思います。


10月26日は木造の蓮性寺様で、書院の掛軸が高田派の墨山上人の名号でいつも法中を向かってきます。この日は、マラソンの話から27組のお寺巡りのコースの話になりました。西は戸木の満誓寺様から東は今日の蓮性寺様まで7ヶ寺を巡れば20Km弱くらいのコースでしょうか? マラソンと共にご法話巡りもよさそうです。


これまでこれほど穏やかな報恩講は無かったと思うほどの12月3日は温かい中、妙華寺の報恩講をお勤めすることができました。組内の5ヶ寺のご法中様、お手伝いをしていただいています慈相寺様と妙華寺の衆徒でお勤めできました。お非時も新しい試みでしたが多くの皆様にお越しいただけました。また、ご法話に西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)先生のご縁をいただきご法話の素晴らしさを改めて感じました。お同行の皆様も一人でも多くご聴聞いただければと思います。

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12月10日は、浄徳寺様の報恩講でした。副住職・衆徒様も出仕されいつも賑々しいお勤めです。最近は、県内の高田派寺院へ社会保険の加入の案内があるようです。専業の住職のお寺では、法人としてのあり方を新たに考える機会になるのでしょうか。


何回お勤めしても反省することはありますが、27組の報恩講に今年も出仕できたことはとても有難いことでした。本山のお七夜も待ち遠しい気持ちになります。

『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」 「相客に心せよ」

『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」
「相客に心せよ」
 茶道の稽古を初め10年が過ぎました。きっかけは薄茶を喫する作法を知ることだったような気がします。茶席に入り、お菓子をいただき、お茶を喫する作法を学ぶこと自体は、一年もあれば少し分かってくるのですが、このお菓子をいただき、お茶を喫する簡単な作法の中にある心を聞くことは大変奥深く、何年経っても会得できないような気がします。
 茶道の世界で利休七則という原則的な教えがあります。「茶は服のよきよう点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて、夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」また、利休の言葉で「茶は渇を医するに止まる」・「和敬清寂」があります。これらの言葉の道徳的・倫理的・宗教的な一面に気づいていくと、茶道は日本の総合的文化といわれることも過言ではないと思います。
 利休七則のひとつ「相客に心せよ」は、主客はもちろん客同士がお互いに尊敬しあい相手の立場を思い、この一会(茶事)を楽しく過ごすことです。私自身もこの10年で何度か茶事を経験する機会を得て、その都度自分の立場で「相客に心せよ」を実践しているつもりですが、振り返ってみればいつも反省するばかりです。相手の心遣いに気づくことの難しさというか、相手の立場を理解する難しさを実感しています。
 私は、「相客に心せよ」を茶道から離れてでありますが、佛の私(衆生)への関係と思うことがあります。いつも私の立場をありのまま見ておられる佛のまなざしのように思います。その中で私が自由に存在している。上手く表現ができないのですが、そのようなことを感じます。
 また、私は、茶道の稽古の中で面授の大切なことも学び続けています。茶道の点前も以前に比べ一般に公開される部分も多くなっています。また茶道の情報についても収集は可能になり、一人で学ぶこともできるような気もします。しかし、個人で学ぶことができるのであっても、学んでいる自分自身を見つめることは、師と言う第三者を通じてしか分からないような気がします。高田(の教団)は面授の弟子による教団であることも思い起こされます。

※お茶の先生がご高齢になりお茶の稽古から離れて6年が経過しました。前々住職はお茶(抹茶)を毎日、午前中に当時居間にあった火鉢で沸かしたお湯で一服たしなんでいました。そこにいる家族にも振る舞っていただきました。私(住職)が、小学生や中学生の夏休みや春休みに居間にいる時は、お菓子につられていただきましたが、苦くてあまり美味しいものでないと思っていました。社会人になりお寺の法務で組内(そない)のお寺の行事の時、お同行様の年回法会の時に、抹茶(お薄)でもてなされることもあり見よう見まねでいただいていました。30歳を過ぎた頃、公民館でお茶の稽古の参加者の募集があり参加しました。前々住職の好んでいた茶道具やお寺に伝えられた茶道具の数々を見つけながらその取扱や保存の方法にも興味が出てきて、それらのことは、お寺の法宝物の管理にも役立つことになりました。しかしお茶はだだ一服のお茶を美味しくいただく(差し上げる)だけのことが一番大切な事です。その為の作法や相手への心遣いを砕いていくことは生涯にわたる修行のように感じます。自力的なことが多いのですが、最後は、その場におまかせするしかないところがとても面白いです。

※お茶の師匠とお別れ
11月3日、私のお茶の先生が亡くなられました。毎年続いている久居地域(以前は久居市)の文化祭の最中で、この文化祭が始まった時にお茶の呈茶席でご奉仕されていた先生のお一人でした。
30年前に入門しそれから覚えの悪い私をゆっくりお育ていただいていました。ご自宅以外でも大学などで稽古場を持ち、多くの社中をお育ていただいていましたが、ご病気やご高齢で、先生のお稽古が無くなりました。先生の社中がその後お稽古を続けて若い方々をお育ていただいています。
先生は淡交会の諸活動でもご活躍され、また地域の茶道協会や茶友会、公民館活動などに、日本文化の総合芸術と言われる茶道の素晴らしさを多くの方々に伝えていらっしゃいました。
最後に、これまでのご指導ありがとうございました。

四季の花

四季の花 報恩講も無事終わりました。境内の銀杏のもすっかり落葉しました。これから5月頃まで枝木の姿です。落葉した銀杏の葉を少し乾燥させるて本に挟んでおくと本の保存が良くなるとかお聞きしました。

12月に入っても裏庭の紅葉は紅葉しています。もう20年になるでしょうか12月の報恩講の時も見頃です。

今年も報恩講をお勤めできました

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今年はとても穏やかな一日となりました。昨年から12月第1日曜日に変更になりました妙華寺の報恩講を組内の法中様とお勤めしました。
今年は、おてらおやつクラブのご縁でお非時のご奉仕を津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様でしていただきました。
ごども食堂も兼ねていましたのでいつもよりお子さんの笑顔も拝見できました。お非時の後、仏さまに手をあわせる子どもさんの姿が印象的でした。毎年お非時を楽しみにされている方々も新たなメニューを喜んでいらっしゃいました。ご奉仕していただきました皆様には何分初めてで慣れないことだったと思いますが今後もよろしくお願いします。後日会長様と反省点を確認して今後に活かしていきたいと思います。

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27組の報恩講ではずいぶん以前に組内で初夜のお勤めの稽古していました。それからお勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の初段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。

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ご法話は、娘の縁で西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授の葛野洋明(かどのようみよう)師に初めてお願いしました。真宗門徒では当たり前のように感じていることを、先生が海外布教に行かれての経験を交えて阿弥陀様の願いを丁寧にわかりやすくお話いただきました。
ご法話の後、ご聴聞された方々に、親鸞聖人像を内拝していただき、余間の絵伝も近くで見て頂きお帰りしていただきました。短い時間ですので詳しい説明はできませんでしたが、説明文を配布させていただきました。
絵伝の絵解きを12月24日に予定していますのでよろしくければお越し下さい。

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行事が終わり次の日にお供えを下げて、小分けしながらお手伝いしていただいた方々へお礼(後礼)とおすそ分けをさせていただいています。それが済みますと今年も報恩講を無事お勤めさせていただくことができたと喜んでいます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々を頼りにしています。行事の30分前に梵鐘を鳴らして案内をしていただきます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。行事が終わりますと、仏旗や幔幕・案内看板・帳場の片付けなど手際よくしていただきます。今回はいつも帳場のお手伝いをしていただいていますお一人が一週間前にご往生されました。ご家族がいつもお寺に行くのを楽しみにしていましたと葬儀の後、仰られていました。
また、お非時のご奉仕をしていただいた津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様には後片付けまでしていただき重ねてお禮申し上げます。
皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

お寺の行事は毎年同じ形でありますが変化している部分もあります。果たして行事が同じ形で次の世代に伝わるのか私(住職)には想像がつきません。私が知り得る中でも終了した行事もありますし、復活した行事もあります。その時代の中でお寺とはどのような存在なのか、お同行様が何をお寺に求めているのか。お寺としてできることとできないこといろんなことを考慮しながら次の世代のことも考えたいのですが、今できることをしていくしかないと思っています。

12月の日曜学校

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12月の日曜学校も「絵解きってなあに」から紹介しました。
ありがたい方々の「絵解き」
仏教の歴史上には、その時代の思想や文化に大きな影響を与えた「ありがたい方々」がたくさん登場します。今で言うカリマス的な人たちです。かつて人々は、「ありがたい方々」を、仏さまや神さまと同じように篤く敬いました。例えば、仏教を日本の国教に定めた聖徳太子が、救世観音の化身として崇められ、また東大寺の大仏造営に活躍した行基が、菩薩と称えられたのは有名です。人々は彼らが亡くなってからも、その生涯を後世に語り継ぐために、伝記をまとめ、絵に表しました。絵で表した伝記を「絵伝」といいます。特に鎌倉時代には、法然聖人や親鸞聖人など、新しく宗派を開いたお坊さん、すなわち、祖師に対する信仰が高まり、祖師絵伝が競うように作られました。絵伝の「絵解き」を聞くことで、宗派の成り立ちを学んで、信仰の思いを一層深めたわけです。

お寺と神社の「絵解き」
お寺や神社の成り立ちやご本尊の霊験、過去にそこに起こった出来事を知れば、きっとお参りしたくなるでしょう。またせっかくお参りにこられた方々には、ぜひともちゃんと由緒ゆかりを知って帰ってもらいたいものです。どうやってそれをお伝えしたのでしょうか。まず絵巻物です。説明に文章だけでなく、見どころ聞きどころを描いた挿絵が魅力的です。大人数を相手にするならば、小さい絵巻物よりも大きな絵が便利です。境内の見どころを一目で説明できる参詣曼荼羅や、本尊にまつわる物語を詰め込んだ縁起絵は、文字による説明はないけれども、「絵解き」によって次々と魅力ある話が聞けることでしょう。そして、特別な姿のほとけさまにも注目です。普通とはちょっと違う手の形や持物、光背や台座の意匠は、特別な霊験をもつほとけの目印です。片手に地蔵菩薩のような錫杖を持ち、盤石をかたどった四角い台座に立つ十一面観音ならば、長谷寺の本尊。千手観音の中でも、左右の一番上の手を頭上に重ねて如来像を載せているのは、清水寺のご本尊、といった具合。いまよりずっと旅することが難しかった時代。ぜひとも霊験あらかたなほとけを拝みたいという思いは、特別な姿を写した像を造ることにもつながりました。

旅する「絵解き」
諸国を旅した「絵解き」は「熊野比丘」と呼ばれた尼さんたちです。彼女たちは熊野観心十界曼荼羅や那智参詣曼荼羅などの「絵解き」をしながら街から街へと旅していました。「絵解き」することで熊野三社へのお参りを勧め、お金を集めるのが彼女たちの主な仕事です。集めたお金は、寺社の運営や修善の費用に充てられました。こうした活動を「勧進」といいます。そして、お金をくれたお客さんには、霊験あらたかなお札・牛玉法印など、熊野ゆかりの品々をプレゼント。絵画の中の描かれて人たち、みんな本当に楽しそう。こんな作品の「絵解き」を聞いたら、きっとあなたも旅に出たくなっちゃいます。
今を生きる「絵解き」
人がだれかに物語る。それはいつの時代の誰にとっても、「いま」「ここ」で起こる出来事です。2つの角度から、今につながる「絵解き」のその後をお伝えします。
ひとつめは、「絵解き」された物語が、狭い意味での絵解きの枠を離れ、さまざまな分野に進出していくという動きです。今でも人気の小説がね映画やアニメになったりしますが、昔から同じようなことがあったのですね。とりわけ人気が髙かったのは、道成寺縁起です。「絵解きの」物語が他の分野に進出していった早い例である能と、その能に題材をとって演出を加えていった歌舞伎があります。人気の役者が演じる歌舞伎の舞台は、さらに浮世絵などななって広まっていきました。
ふたつめは、いまなお語り継がれる「絵解き」人が肉声で語り聞かせることの魅力は、人と人を繋ぐものとして、観光や町おこしの面でも今新たに注目されています。

※今日12月3日の報恩講では、西余間(本堂の向かって左の余間)に4幅の親鸞聖人絵伝を掛けます。ご法話終了後に、間近に見ていただくことができます。
※妙華寺では、『お寺で体験』の講座で12月24日に親鸞聖人絵伝、2月25日に涅槃図の絵解きを予定しています。

四季の花

四季の花 報恩講を前に境内の銀杏や紅葉がきれいですが、一夜のうちに銀杏が落葉しました。秋から冬へ季節は変わってきました。

12月の日曜学校は3日です

今年最後の日曜学校は12月3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)


※正月は一日午前5時30分より修正会(しゅしょうえ)をお勤めします。
日曜学校は、2月4日午前7時30分からです。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第25回】親鸞聖人のご臨終
人間としてこの世に生まれてきたからには、いつの日か、ある日例外なく突然死ななければなりません。人の死については昨日も聞き、今日も見聞きしているのですが、死をほんとうに自分のこととしてとらえることは難しいようです。
親鸞聖人の臨終はいかがだったのでしょうか。
聖人は晩年、京都から関東の弟子たちに往生浄土が近づいたことについてお便りをしてみえます。現代の人に最もわかりやすいのが、高田派の「親鸞伝絵(でんね)」や本願寺派の「御伝鈔(ごでんしょう)」でしょう。
それらを要約し意訳してその内容を紹介しましょう。
聖人は弘長2年(1262年)いささか、いつもと違って健康がすぐれなくなられ、それからは、口に世間のことなどを話さず、余分なことを語らず、ただ、仏恩の深いことだけを語られ、もっぱら念仏称名の声がたえることなく、11月28日のお昼過ぎ、ついに亡くなられました。御歳90歳でしたと記録されています。
ご臨終の枕辺には数少ない直弟と末娘の覚信尼さま、次弟の尋有さまがおられたぐらいのさみしく静かな場であったと思われます。
さて私たち真宗のみ教えを心の糧として生きる者は、この聖人のご生涯をしのび、ますます聞法の道に精進して参りましょう。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

報恩講(ほうおんこう)
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として厳修されます。
高田本山では1月9日から16日までの7昼夜にわたっての法会で「お七夜さん」の名で親しまれています。妙華寺では、以前は12月14日から16日に勤めていました、現在は、12月の第一日曜日にお勤めしますので、12月3日です。
文字通り報恩講は、聖人にお礼を申し上げる法会です。それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)である私は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に墜ちて当然でありますが、他力念仏の大道をお教えいただくことにより、お浄土に往生させていただく身になるからです。
聖人は、「この強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(あ)い難(がた)いこと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし
師主・知識の音読は  骨をくだきても謝すべし
と述べられました。
阿弥陀如来が「わが名を称えるものは、必ずお浄土に往生させます」という超世(ちょうせ)の願い(大悲)を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国(さんごく=インド・中国・日本)の七高僧(知識)が正しく伝承されて、「南無阿弥陀仏」が私に届けられたのであります。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、詳しくお示しされたのが真宗の教えであります。聖人は、このご縁はなにものにも代えることができない尊いことで「身を粉にしても、骨をくだいても報謝すべし」と最大級のお言葉で申されました。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯をわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです) また、聖人の宮殿のお戸帳も外して聖人像がいつもより拝顔できる喜びもあります。(高田本山では15日の初夜のお勤めの後、内拝と言って出勤法中が内陣でお焼香をさせていただきます)
昨年よりご法話修了後、内陣の聖人像を内拝していただき西余間の絵伝を拝見してお帰りいただく予定です。

 今年は、西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)洋明(ようみょう)師にご法話いただきます。葛野(かどの)洋明(ようみょう)師は、西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授です。また高田派の若い布教使の育成に助言されています。今回は、衆徒(娘)のご縁で、妙華寺でご法話をいただきます。一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

妙華寺では、年5回の行事のご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

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中陰逮夜忌

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。

妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケァする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。