七高僧

七高僧
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。
真宗寺院の余間に掛軸として掲げられていることが多いです。
妙華寺でも本堂向かって右側の余間の内側に掲げています。

平素のお勤めの中で、親鸞聖人がおつくりになられた「正信偈」「文類偈」また「(浄土高僧)和讃」に七高僧のお徳が書かれていて、お勤めをしています。

【インド】の①龍樹(りゅうじゅ)菩薩・②天親(または世親)菩薩。
【中国】の③曇鸞(どんらん)大師・④道綽(どうしゃく)禅師・⑤善導(ぜんどう)大師。
【日本】の⑥源信(げんじん)和尚・⑦源空(げんくう)上人の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)と言っています。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』

掛軸を拝見しながら皆様はどのような部分に注目しますか

バトンをつなぐ

バトンをつなぐ(お寺の未来へ)
私(住職)は今67歳で住職を拝命して15年になろうとしています。父(前住職)は77歳まで28年間、祖父(前々住職)も77歳まで40数年間住職の役割を担ってきました。父や祖父のことを考えると私(住職)もおよそ後10年くらい住職の役を担うことができるのかわかりませんが、バトンの引継ぎを含めて考えていきたいと思います。
お寺のこれからの10年を考えるのは、どのように考えたらよいのでしょうか。
寺院とは、宗祖(親鸞聖人)のみ教えを伝え、集う場であることを一番大切にしています。
お寺の行事を通して、「み教え」をお伝えしていますが届いているでしょうか。

時として「届いていないのではないか」と考えさせられています。
また、生活者がお寺に求めるものは何かも考えるのですが、様々なものがあるようで、一つのお寺がすべてに対応できることではありません。そう考えると地域にある寺院同士が連携して取り組むことも必要です。これまでの地域の仏教会が今の生活者の求めるものに対応できているのかも改めて考えていかないと難しそうです。
そして、当たり前のことですが、継続していくことが大切であるということに気づかされます。コロナ下の3年間でお寺の行事のあり方も考えさせられました。「集う」ことへの不安をどのように向き合うかお寺によって様々ですが、お寺のできることをしながら続けることが、「不安」の心を「安心」へ変えていくこともあるそうです。

変化

変化
新型コロナウィルス感染症が2023年5月に感染症法上5類に移行したことで、2020年から始まった新型コロナウィルス感染症を経験して何が変わったか。考える時間をいただきました。
新型コロナウィルス感染症の拡大が始まってから、世界中でこれまでの生活様式が大きく変化したことは確かなことで、私(住職)の生活上の変化もたくさんあります。
私(住職)が一番感じたことは、「集う」ことへの「不安」でした。私が生きてきたこれまでも死に至る感染症はいくつかありました。しかし、地域が限定されていたり、濃厚な接触でないと感染しないとか、ある程度限定的な感染症と捉えて他人事のように感じていました。毎年インフルエンザ(感染症)も発生しています。こちらも致死率が大きくないのでそれほど気にもとめていませんでした。しかし、今回は、「新型」と名づけられているように感染症への治療方法や対処法もわからず、世界中で感染者が増え、死者が増え、医療現場が混乱したことを目の当たりにするのは初めてで、「恐怖心」が芽生えたことが、これまで当たり前のように「集う」ことへの「不安」になりました。
生活様式の変化にも含まれる問題ですが、対人との関係性が希薄になった感じもあります。しかし、対人関係の希薄さは、新型コロナウィルス感染症以前からあった問題で新型コロナウィルス感染症拡大によって、急速に進んだと考えることのほうが適切だと思います。これは、濃密な関係性が苦手な私にとっては悪いことではないと考えています。
私(住職)は、対人関係の中で個々の「不安」や「安心」「安全」に焦点を合わせるようになった気がします。
新型コロナウィルス感染症に対する不安を通して、この人は、「何に対して不安をいだいているのか。何を安心と考えているのか。何を安全と思うか」を考えながら、新型コロナウィルス感染症以外の、心の「不安」や「安心・安全」に少しだけだが向き合おうとしています。
これまでも、人間1人1人「不安」はそれぞれ違うものであると頭で認識していましたが、どこかで類似性を見つけてグループに分類している私がいます。それは、生きている以上変わらない気がしますが、もう少し1人1人の「不安」に向き合うことを考えるようになった気がします。

日本語

日本語
お寺には、古い時代の書き物や、掛け軸があります。そこに書いてある言葉がすべて読めるかというと、なかなか難しいです。先人が丁寧に現代語に変換してもらってあれば、読むこともできますが、そうでないと読み切れません。
お寺に伝わる由来書も江戸時代の書き物ですが難しく専門の先生に確認していただきました。
現代語も考えてみると、正しく使っているかというと、疑問符がついてしまいます。
お寺の住職として、年一度お同行の皆様にお届けする寺報ですが、印刷するにあたって校正(こうせい)を何度かするのですが、印刷後、誤字や適切でない表現を見つけてしまったり、指摘されます。
6年前、出版社の「校閲(こうえつ)」の部署をテーマにしたテレビドラマがあり、興味深く視聴していました。出版物は、何人もの人の目を通して、誤字や不適切な表現がないか校閲されて初めて世に出るようです。
仏教のみ教えや宗祖(しゅうそ)親鸞聖人のことを学ぶ時、今でいう漢文や古文の知識(教養)が必要です。
そのような教養があっても、直筆の『顕浄土真実教行証文類』や、「御消息」が読めるかと言われれば、私(住職)は、「読めません」としかいうことができません。
現代の活字に慣れている身としては、個人が書かれた文字は両親や祖父母の字でさえ読めない箇所があります。時代をさかのぼり、平安・鎌倉時代や江戸時代の文字をきちんと判読でき、伝えることができる人は、私(住職)からするととても素晴らしい方と思います。「わからないことがあれば、原本を確認すること」と指導していただいた先生の言葉は覚えていますが、原本を読み切る力がない私(住職)にとっては、お手上げ状態で今に至っています。

 

防災の日

防災の日

防災の日が制定されたのは、1960(昭和35)年に、国民が自然災害に理解を深め、意識を高めるために制定されたそうです。私(住職)が生まれて4年後のことです。前年の1959(昭和34)年9月26日に伊勢湾台風で三重県も大きな被害が出たと聞いています。
9月1日は、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大地震に由来されたと聞きました。
多くの方々の命が失われた大地震と知りました。関東大震災から今年は100年にあたります。
関東大震災のことは詳しく知らないのですが、お寺の過去帳にも東京に出られたお同行様で地震で亡くなられた方のお骨を埋葬した記実もあります。三重県も、1944(昭和19)年の東海地震、1946(昭和21)年の南海地震で被害があったことは、両親や祖父母から聞いていますが、お寺としては大きな被害はなかったようです。ただ、阪神淡路大震災や東日本大震災などを目の当たりすると、今後必ずやってくる東南海地震災害への備えは必要だと感じています。

これまでもお寺のHPで何度か紹介しています、 救援マップ(未来共生災害救援マップ)の紹介させていただきます。お寺のある三重県では東海地震や東南海地震が今後発生すると大きな被害を受けることは随分前から指摘されています。その為、行政からも地震が発生した時の備えや行動計画の事例も何度も注意喚起がなされ住民も確認し自治会などを通して防災訓練なども行っています。また災害時の行動について個人・家族で話し合う機会もあったと思います。以前、「災害時のソーシャルキャピタルとしてのお寺」と題したオンライン勉強会がありました。大阪大学の稲場圭信氏の研究分野で災害時の避難場所のあり方などのお話をお聞かせいただきました。行政が指定している地域の避難所が諸事情で使用できない場合に、その地区で広い空間施設を持っている寺社を活用する取り組みをされています。(大型商業施設なども避難場所として指定または活用も進んでいます)行政の避難所指定がなくてもその地域の避難空間としてお寺を活用できることは、お寺の社会貢献としての一面もあると思いました。稲場圭信さんの研究所では、既に「未来共生災害救援マップ」と言う全国地図に行政の避難指定施設と共に寺院・神社にも避難された方がいる場合にその概略を記入できるスペースが作られたマップが無料提供されています。地域に災害が起こる前に1度このマップを確認して、今いる場所の避難場所の再確認や避難場所になり得る広い空間施設を持つ寺院・神社の場所の確認をされるのはいかがでしょうか。