日本語

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お寺には、古い時代の書き物や、掛け軸があります。そこに書いてある言葉がすべて読めるかというと、なかなか難しいです。先人が丁寧に現代語に変換してもらってあれば、読むこともできますが、そうでないと読み切れません。
お寺に伝わる由来書も江戸時代の書き物ですが難しく専門の先生に確認していただきました。
現代語も考えてみると、正しく使っているかというと、疑問符がついてしまいます。
お寺の住職として、年一度お同行の皆様にお届けする寺報ですが、印刷するにあたって校正(こうせい)を何度かするのですが、印刷後、誤字や適切でない表現を見つけてしまったり、指摘されます。
6年前、出版社の「校閲(こうえつ)」の部署をテーマにしたテレビドラマがあり、興味深く視聴していました。出版物は、何人もの人の目を通して、誤字や不適切な表現がないか校閲されて初めて世に出るようです。
仏教のみ教えや宗祖(しゅうそ)親鸞聖人のことを学ぶ時、今でいう漢文や古文の知識(教養)が必要です。
そのような教養があっても、直筆の『顕浄土真実教行証文類』や、「御消息」が読めるかと言われれば、私(住職)は、「読めません」としかいうことができません。
現代の活字に慣れている身としては、個人が書かれた文字は両親や祖父母の字でさえ読めない箇所があります。時代をさかのぼり、平安・鎌倉時代や江戸時代の文字をきちんと判読でき、伝えることができる人は、私(住職)からするととても素晴らしい方と思います。「わからないことがあれば、原本を確認すること」と指導していただいた先生の言葉は覚えていますが、原本を読み切る力がない私(住職)にとっては、お手上げ状態で今に至っています。