前々住職の36回目の祥月命日

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8月29日は、前々住職の36年目の命日です。
祖父(前々住職)は明治33年生まれで、祖父・祖母は4人の子ども(姉妹)に恵まれ、私(住職)が生まれた時は、初孫でもあり大変喜んでいただいたようです。私の知る祖父は、いつも着物姿で居間にある火鉢でキセルのきざみタバコに火をつけていたことと、火鉢にかかる鉄瓶のお湯で薄茶を美味しく飲んでいた姿です。また、境内で菊つくりもしていました。月に何回か書院で囲碁をする姿もありました。後で知ることでは、和歌を楽しんでいたことでした。私が得度するのは、中学3年生の9月15日(敬老の日)でした。その年の夏休みは毎朝、祖父が私に「阿弥陀経」をゆっくりと勤めてくださったことでした。私は、大学に進学してから自坊のお盆のお勤めからお手伝いをして、祖父の代わりに井戸山の報恩講のお勤めにも行くことになりました。私が自動車免許を取得してからは、祖父の運転手・カバン持ちとして法務や私的な時間を共有してその時の語らいは貴重なものでした。昭和54年に妙華寺がこの久居の地に建立され300年の記念の行事で、祖父(前住職)・父(住職)・私(衆徒)が衣(ころも)姿でお勤めできたことを祖父が喜んでいただいたことを後で聞きました。昭和55年81歳でご往生されました。
祖父の歩みをたどってみますと、祖父は明治44年に得度をされ昭和14年から昭和54年まで住職として教化活動をされていました。昭和26年には宗務総長として高田本山の第22世堯猷上人の葬儀を執り行わせていただいています。また現職の監正局長でもありました。また、本山から出版された『高田の古徳』や『高田の寺々』の編集人の一人でありました。
個人としては『私が経営する日曜学校の立場』という冊子を大正14年に刊行しています。和歌の冊子である『漱月抄』も15冊ほどつくられています。
13年後は祖父(前々住職)の50回忌の年であります。そして妙華寺が創建され350年になる年でもあります。その頃に妙華寺がどのようになっているのか、今からしっかりと見つめていきたいと思います。
4年後には久居(藩)開闢350年で久居に新しい町ができ、妙華寺以外のお寺も久居の地にそれぞれ創建されてきましたので地域のお寺の350年を記念する行事も一緒にできれば面白いと感じています。
また、真宗高田派では7年後には、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年を迎えることもありました。

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