ほとけ様が見ています

「ほとけ様が見ています」
お寺では、毎日多くの落ち葉や、私(住職)が勝手に雑草と名づけて抜き取った草をゴミ袋に入れています。ご遠方から公共交通機関を利用してお墓参りにこられたお同行様でお供えのお花の処分に困られた方が庫裡に処分を依頼にこられたり、境内の美化を依頼しているシルバー人材センターの方々や、自主的に境内をお掃除をされている方々がゴミ袋に入れていただいています。またお寺で生活している私(住職)家族の生活ゴミも出ます。
行政からのルールによって、分別処理をしてゴミを出す日や場所が決まっています。
この夏頃から、お寺のゴミ袋をゴミとして出す日まで一時置いています所に分別していない生活ゴミ袋を置いていかれる方がいらっしゃいます。行政のルールでは分別していないゴミ袋は処理されないためそこに放置されることになりとても見苦しくなります。

先人は道徳的な観念から「ほとけ様が見ています」・「お天道様が見ています」・「閻魔様が見ています」と言い表して、誰も見ていないと思っていても私達を俯瞰して見ている存在があることで私の勝手な思いや行動を諭していたのだと思います。
この場合は、今では、「分別してゴミはお出し下さい」とか「ゴミ出しのルールは守りましょう」と言うことになるのでしょう。また、ご自宅の生活ゴミは、ご自宅の指定された日と場所で分別してお出しいただければと思います。

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和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

正像末法和讃 第50首

南無阿弥陀仏の廻向の 恩徳広大不思議にて
往相廻向の利益には 還相廻向に廻入せり

「南無阿弥陀仏を如来から私に廻向された」と、これがこの和讃の中心点になる。浄土真宗の中心というものは、「南無阿弥陀仏の廻向」である。阿弥陀如来が南無阿弥陀仏という声になって、今私にはたらいているということです。「その恩徳というものは広大であって、私の計らいの及ぶところでない」と。南無阿弥陀仏に廻向されたということを、ここまで自分の中心問題として感じておられるところであります。感恩、如来のご恩を感じる、感によって恩がある。だから宗教心というものの中心は感ではないかと思います。如来の廻向を恩として感じる。仏法には業感という言葉があります。業感縁起。感じることによって業というものがでてくる。業として感じる、業感です。そういうこととこの感恩ということを思い合わせまして、「恩徳広大不可思議にまします」と。その恩を感じた内容を第3行目と第4行目にあらわされまして、「往相回向の利益を恵まれたそのうえに、そこに止まらず、還相廻向までいただくことになりました」と。廻入するであろうではなくして、「廻入せり」往相の廻向が自ら還相廻向に転入していく。廻入・転入・帰入、ひとりでに転回していく。そうしますと、廻入とか転入とかいう言葉で結ばれますのは、往と還・往きと還り、こういうように、私どもの受けとめ方は二つのかたちになるわけでありますが、もう一つ、私が往くためには、私のところまで来ていただいた力がある
もっと具体的に申しますと浄土真宗では聖人のことを「還相の菩薩」と仰ぎます。還相の菩薩というのは、浄土からこちらへ還ってこられた方。もう既に浄土を見て、われわれのところへその浄土を知らせるために出てこられたという仰ぎ方をしておるわけです。その人に触れるときに浄土を感じるのです。曽我量深師は、大還相という言葉を用いられる。私が浄土へ往けるのは、向こうからこちらへ道を開いて下ださった、向こうから私に浄土を告げにきて下さったからという。曽我量深師が大還相とおっしゃったのを少しして哲学者の田辺元博士が絶対還相、何ものにも先立って、まず還相があるといわれた。非常にたくさんの言葉を費やして、浄土真宗の教えというものの中心は、還相というところにあるとお説きになっておられるのであります。
浄土真宗といえば、阿弥陀如来という名前がでてくる。如ー来です。如というものはそのまま、もののあるべきそのまま。如というのは、真如とか如々とか一如とか、これは言いきれないものなのです。その真如・一如・真理が私どもの現実まで届いたものが真実、こういうことになるのでしょうか。真ということをこの私の身の上に証(あか)しして下さる、真が実となる。そうしますと、如という、本当のものが私の現実の上にかたちをあらわしてくる。如が来、如が来る、それが大還相なのです。だから真如が私の身の上に顕現する。その如来が来て下さった力によって、私が如来の方へ歩んでいくことができる。私が浄土へ向かって往く力も、還る力も同時に与えられる。往く力も還る力も与えるもの、これが如来である。これを往還二廻向とよぶわけであります。往相の背面に還相を感じます。
「往相廻向の利益には 還相に廻入せり」、聖人の和讃というものは、類歌とは全く別格のおもむきをもっておりまして、はかなさとか、あわれとか、ほのかというような、幻想の世界へ人を引き入れていく詠歌調というものを切って捨てた、豊かな浄土思想の髙い格調がたたえられています。如来が南無阿弥陀仏となり、その南無阿弥陀仏によって浄土へ生まれる、また浄土から還り来たって還相の眼をもって娑婆を見る、ということもみな、そこに成り立っていくのだという、そういう大いなるものに頭を下げて、自己の無力をというものを懺悔しておいでになる。いやむしろ懺悔できないことが懺悔と
なっている。そういう激しく厳しいもの、一点もゆるがせにすることはできないものがあるのです。こういう格調の高さというものが、繰り返し拝読しておりますと、私の身にしみ通ります。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

「お寺の講演会」ご講師 浦上哲也師から

今回、来年2019年5月18日の親友婦人会総会後の「お寺の講演会」のご講師をお願いしています横浜市の「なごみ庵」のご住職 浦上哲也(うらかみてつや)師に「お寺の講演会」の半年前の11月から月一度のペースでご寄稿をお願いし快く受けて頂きました。その一回目を掲載します。
浦上さんは、僧侶ですがお寺の本堂から飛び出して、多彩な活動をされています。
平成27年の親友婦人会総会の日には、希望者に「死の体験旅行」と言うワークショップを受講していただきました。私(住職)も受講して、死に向かっていく自分の感情や取捨選択を受講した者同士が共有しながら、今生きていることの不思議を感じたことでした。
「死の体験旅行」と言うワークショップを全国で開催されたり、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表や、「仏教死生観研究会」を立ち上げられたり、お坊さんが回答する「hasunoha」の回答僧のお一人であり、「まちのお寺の学校」の講師であったり、最近は「方丈社」マガジンに連載が始まりました。また妙華寺も賛同する「おてらおやつクラブ」に参加する寺院の住職でもあります。そのような多くの顔を持つ浦上さんの今感じることを月一度、妙華寺のHPにも掲載して5月18日の講演を楽しみに待ちたいと思っています。

浦上さんの掲載文で、何か感想などございましたら、お寺にお知らせください。

※来年2019年5月18日の「お寺の講演会」のチラシは、寺報・報恩講の案内と一緒に配布する予定です。

 

 

はじめまして、来年2019年5月18日の「お寺の講演会」でお話をさせて頂く、倶生山なごみ庵の住職、浦上哲也と申します。

横浜で小さな庵を結び、法話会など様々な活動をしておりますが、当庵も少し関わっている活動で大きく嬉しいニュースがありました。

お寺へのお供えものを、お子さんのいる生活困窮家庭におすそ分けし支える「おてらおやつクラブ」という活動がありますが、なんとグッドデザイン賞、しかも最優秀である「大賞」を受賞しました!

 

グッドデザイン賞といえば、優れたデザインの製品に送られる歴史ある賞、という認識でしたが、ここに「おてらおやつクラブ」が応募をしたと聞いた時には、頭の中に?マークが浮かびました。よくよく聞くと形のある製品だけでなく、優れたデザインの「仕組み・活動」も選考対象なのだそうです。

今年度の応募総数は4789件。その中から1353件がグッドデザイン賞を受賞し、さらにそこからベスト100が選ばれますが、「おてらおやつクラブ」はそこに残っていました。

特別賞や大賞が東京ミッドタウンで発表されることになり、私もそこ足を運びました。様々な特別賞が発表される中、なんと大賞候補のベスト6に残っています! 他の候補はソニーの犬型ロボットAIBOや富士フイルムのポータブルレントゲンなど、一流企業の渾身の製品が並びます。

そして……「大賞は、『おてらおやつクラブ』!」

会場に集まった報道陣は「まさかお坊さんが!?」とどよめき、そこに居合わせた私たち僧侶も完全に浮き足立ちました(笑)。大賞をお坊さんが取るのはもちろん初、製品でない仕組み・活動が取るのも初、企業ではなくNPOが取るのも初という、異例の初物づくしだったそうです。

すでに全国で1000ヶ寺ほどのお寺が参画していますが、それぞれのお寺が無理なく少しずつ実施できる活動が積み重なり、大きな花が開きました。
当庵もこれまで通り、毎月近くの社会福祉協議会にお菓子を持って参ります。

梵鐘

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
妙華寺の梵鐘に、「寛保四(1744)龍次甲子正月18日 勢州久居寂陽山法苑院現住 沙門釋恵成(当院三代)誌 治工洞津住 辻越後藤原種茂」と記されています。
鋳造した「辻一族」は、津藩の鋳物師で、高田本山の灯籠・梵鐘や津観音寺の灯籠など多くの寺社の灯籠・梵鐘を作製しています。久居と称する町が開かれた時は、同時に多くの寺院が梵鐘を、「辻一族」に依頼しています。妙華寺の今ある鐘楼堂は、大正時代に建て替えられ、平成11年に瓦葺き替えをしました。お寺の鐘と聞くと、「除夜の鐘」をイメージしますが、毎年隣のお寺が撞きます。妙華寺の梵鐘を撞くのは行事の合図として撞きますので、元旦の修正会(しゅしょうえ)、春秋の彼岸会・千部会、12月の報恩講の行事の始まる30分前に撞いています。

11月の日曜学校は、4日朝7時30分からです

 

11月の日曜学校は4日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(歎仏偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
早くも今年もあと2ヶ月に、月日が早く過ぎると感じるのは年のせいでしょうか。人生の歩みをより豊にできる時間を尋ねてみませんか。

 

10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブは、22日に支援団体様24日に一人親家族様にお送りいたしました。
今年も、12月2日の報恩講のお非時(ひじ)にこども食堂を併設します。
今年の夏前にお同行の豆腐屋さんが廃業されました。これまでのお非時の飛竜頭や豆腐の味噌汁をどのようにするか思案中です。

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また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

 

もうすぐ久居ができて350年

久居城下案内人の会様が、久居藩350年記念として『久居のお殿様』椋本千江著を出版されました。
久居藩主の初代髙通(たかみち)から16代髙邦(たかくに)までを分かりやすく紹介されています。
津藩の分家として久居藩がつくられたのは、当時の考え方で「お家断絶」にならない為の方策で、久居藩藩主の中から4人が津藩藩主を嗣いでいます。

久居藤堂藩の菩提寺は隣の玉せん寺さんです。当初の寺号は「玉泉寺」で「ぎょくせんじ」の読みでしたが藤堂家が「泉守」でしたので、「泉」から「布施」の「施」の「方」を「氵」にして「せん」と読むようになったようです。久居藩の歴代の位牌やお墓があります。
また、この本の終わりには久居城下案内人の会様のこれまで10年間の活動記録も記されており、今後もご活躍を念願いたします。

 

続いて、少し前に深谷克己先生に「久居」の由来について伺っていました返信が届きました。久居の由来について『勢陽五鈴遺響』(せようごれいいきょう)と言う江戸時代末期に完成した伊勢国(現・三重県)に関する地誌までしか今のところ遡れないとお教えいただきました。

久居城下案内人の会の皆様、深谷克己先生には、改めて久居について勉強できる機会を与えていただきありがとうございます。

※ 深谷克己氏は、三重県津市久居出身の早稲田大学名誉教授・近世史学者で、多くのご著書があります。妙華寺の本堂が平成16年に国の有形登録文化財に指定された記念に「法苑院妙華寺縁起」の原稿をお願いし、お寺(妙華寺)と久居のことを詳しくお書きいただきました。

来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師のテレビ出演の紹介

浦上哲也師のテレビ出演紹介

浦上哲也さんは、来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師です。
少し早いのですが、ご講師の浦上哲也師が、10月26日(金)のETVの20時からの「明日も晴れ!人生レシピ」の中で、

新しい取り組みをされている僧侶の一人として紹介されることを知りました。
ご講師の今を知り、来年のご講演を楽しみにいたしましょう。
番組の中でも紹介されます浦上師の取り組みの1つ「死の体験旅行」は、妙華寺でも平成27年5月18日の婦人会総会の日に希望者に受講していただきました。

浦上師のお寺のHPで番組のことを紹介されていま文章を掲載させていただきます。
【ちいさなお寺 倶生山 なごみ庵 https://753an.blog.so-net.ne.jp/ 2018-10-20掲載】
 「修行」をテーマに色々なお寺を取材していたようなのですが、なぜか修行の無い浄土真宗の私のところにも取材にいらっしゃいました。どうやら「修行」と平行して、お寺の現代的な取り組みという部分のようです。
 また、お坊さんQ&Aハスノハや「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で一緒に活動している浄土宗の東さん、ハスノハの共同代表の堀下さんも取材をお受けになったようです。
 告知VTRを見ると、私の部分が全面カットにはなっていないようなので、ご紹介させて頂きます (^_^;)
スタジオにはゲストとして、浄土真宗僧侶であり宗教学者でもある釈徹宗先生がいらしているようなので、どんなコメントが頂けるか楽しみです。
 ぜひ10月26日の20時、また11月2日の11時に再放送されるようですので、お手空きの方はご覧頂ければ幸いです (^人^)

丁度、12月にお配りする予定の「お寺の講演会」のチラシの最終稿が届けられました。
来年(2019)5月18日(土)の「お寺の講演会」では、『「適当」に生きるススメ』の講題でご講演をいただきます。

その後、妙華寺衆徒と対談も予定しています。

 

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土高僧和讃 源空聖人 第04首

曠劫多生の間にも 出離の強縁知らざりき
本師源空いまさずば この度空なしく過ぎなまし

久遠の昔から幾度となく生まれ変わって、この世に生を受けた間にも、煩悩の束縛から解き放つ強力な働きかけを知らずに過ごして来た。わが師源空上人がおられずしては、今のこの生涯も、空しく過ぎてしまったことであろう。

多生は、幾度も生まれ変わること。
出離の強縁は、迷いの世界から抜け出るための強力なよりどころ。強縁は増上縁と同じで、弥陀の本願を指す。
「な」は、完了を表わす「ぬ」の未然形である。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

はかり知れない過去遠々より、生まれ変わり死に変わりして迷いの生死を繰り返しつつも、今日に至るまでこの生死より出で離れる強い縁となるところの本願力に遇うことなくして過ぎました。もしもここに本師源空がこの土にいでまさなくしては、このたびのかけがえのない一生も、手を空しくして過ぎ終わるという絶望的な悲しみにさいなまれることでありましょう。
生死流転の身であったことを知るのは、生死を出離することのできたときに、はじめてその恐ろしさに目覚めるのです。源空自らも叡山にあって日にち念仏しつつも、その念仏でたすかったというところに身をおくことができずに、いらいらしていたのです。
もだえ苦しみを『黒谷上人語灯録』巻15のうえに聞きましょう。
(『黒谷上人語灯録』巻15略)
悲しみの極まりにおいて、善導の文言が眼を射たのです。何度も通過しつつ、今はじめていのちが燃えたのです。本願の念仏に触れて、善導の声を聞いたのです。たすかりたいの念仏でなく、たすけられてあることのかたじけなさが、本願によって証知されたのです。源空の善導一師としての仰ぎ方は、ここに根拠があるのです。一声一声の念仏を通して、如来から摂取不捨と捨てられていないとの感知は、善導と源空との出遇いを呼び起こし、更に具体的にあざやかな形で、源空と祖聖とのめぐり遇いのうえに将来されたのです。本願念仏の人には智慧光の力があって、道を求める人を招き寄せずにはおきません。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

弁財天坐像と初代坐像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
初代自信像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 43.6cm 江戸時代
弁財天坐像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 53.2cm 江戸時代

初代自信上人の像は、妙華寺二代の融海(ゆうかい)上人が作製されました。
毎年、正月の3日間西余間に自信上人像を中心に歴代の位牌、7代からの11代の絵像を掲げています。
現在ある弁財天像は、資料室に安置していますが、初代自信が持参された小さな弁財天像をその後、胎内に入れ今の弁財天像を造ったと聞いています。また妙華寺五代の自運上人が弁財天宮殿を建立されたとありますのでそれ以前かその頃かと拝察しています。
私(住職)が小さかった頃、現在の樹木の元のお墓の当たりが弁天池でした。以前はその池の畔に弁天堂がありそこに祀られていたと前々住職から聞きました。