『お寺で体験』の3回目は、10月22日(日)午前10時から

4月から開催しています『お寺で体験』の3回目は、10月22日(日)午前10時から11時30分の予定です。
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
会場は、山門左側にあります妙華寺会館です。
今回は、「久居の歴史」と「お寺の歴史」を中心に予定しています。
「久居の歴史」は、久居城下案内の会副代表の若林征男様に担当していただきます。
過ごしやすい秋の季節に私達の住んでいる久居について考えてみませんか。

式章(しきしょう)

式章(しきしょう)

先日、お仏壇廻りを整理されていたお同行様から「これ(式章)はどのように使うものですか」とお尋ねがありました。
式章は、僧侶の着用している輪袈裟(わげさ)の形で輪袈裟の下半分が紐になっています。本山や菩提寺から記念の品として式章をお渡しさせていただくことがございます。
本来、お同行の皆様が法会参詣する時に着用するもので礼服の一つとお聞かせいただきます。お寺での特別な行事(御遠忌法会や一光三尊仏御開扉法会)や本山や他のお寺に団体参詣など行く場合、式章を着用されているお姿を拝見しますが、最近は式章を着用して、葬儀、年忌法会をお勤めするお姿も少なくなりました。もしご家庭に式章がございましたら着用される機会をつくられたらいかがでしょうか?

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第21回】関東から京都へ 三河にて
関東を後にした親鸞聖人は、箱根路を通り、各地でお念仏の教えをひろめながら、文暦2年(1235年)三河(愛知県)に入られ矢作川河畔にある太子堂に逗留されました。
この流域に住む民びとは各地に太子堂をつくり、太子信仰の盛んな地域でもありました。聖人はそんな太子堂の一つで、岡崎の妙源寺に17日間も留まって説法されました。
柳堂に腰をおろされた親鸞聖人は、「弥陀の本願はあらゆる凡夫を救わんがためです」と阿弥陀如来の本願をじゅんじゅんと説かれました。近隣の人々は聖人の念仏教義の深さに敬服して、真宗に帰依していきました。
当時、この太子堂の前に柳の大木があったので、里人は「柳堂」と呼び親しんでいました。国宝として現在も参詣人の絶えることはありません。この三河一帯は、後に高田の顕智上人(三世)、専信上人等が精力的に念仏布教をされた所で、次第に念仏の輪が広がっていったのであります。
ここ三河は、関東と関西を結ぶ中間的存在で、高田派寺院の最古の道場として、親鸞聖人の歩まれた貴重な足跡が残っていることに注目したいものです。
三河を発たれた聖人は、やがて近江(滋賀県)に入られ木部に錦織寺を建立され京都に向かわれたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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10月の日曜学校

10月は「絵解きってなぁに」のテーマでお話をしました。絵解きをする人は、仏教絵画の託された物語を分かりやすく多くの方へ伝えることですが、江戸時代には町中で絵解きをする熊野比丘尼と言う女性の宗教家が活躍されていたようです。インドのお釈迦様が亡くなられてから仏舎利が祀られていたストゥーパ(仏塔)の周囲の囲いにお釈迦様の伝記や前世の物語(ジャータカ)が浮彫りされていて専門の僧侶がでお釈迦様の行実を伝えるたことから始まっているようです。

※妙華寺では、『お寺で体験』の講座で12月24日に親鸞聖人絵伝、2月25日に涅槃図の絵解きを予定しています。

また、10月26日高田本山専修寺の大講堂にて三河スーパー絵解き座の主催で絵解きがあるそうです。ご興味のある方はそちらもチェックしてみては。

境内墓地の通路整備の報告(9月)

境内墓地の通路整備の報告(9月)

境内墓地の通路整備は、墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装板を整備しています。
9月末には三区画の一通路を残しています。おおよそ予定通りに四区画の終了が11月末の完成予定ですが、今後も台風などの天候で、時間がかかる場合があります。
ご迷惑をおかけしていますが、境内墓地通路整備期間中の東側駐車場の一部を工事車両が使用します。
また、皆様のお墓の前の通路に花入れなどがございましたら申し訳ございませんが片付けさせていただくことになります。

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宇都宮

 

宇都宮
栃木県と言えば、真宗高田派の私(住職)は、真岡市(以前は、二宮町高田)にある本寺(ほんじ)を一番最初に思い浮かべます。そして日光東照宮もお参りにいったこともあります。しかし、これまで栃木県の他の町を訪れる機会がありませんでした。

今回は、宇都宮市で開催されています栃木県博物館の開館35周年特別展の「中世 宇都宮氏」を拝見するのに初めて伺うことになりました。宇都宮氏は、今は地名にもなる宇都宮市周辺で活躍された名門武士団のことで今回の展覧会です。この展覧会については、高田本山で知り、内容を聞きますと、高田本山専修寺の国宝の『西方指南抄』・『三帖和讃』を始め、親鸞聖人真筆の八字名号・十字名号、本寺の真仏・顕智上人像、専修寺に残る宇都宮家の書状など法宝物が出展されるということを聞き、一度尋ねてみたいと思いました。
初めて行く場所(宇都宮市)ですが、調べて見ますと今年の5月の婦人会総会の時にご講演いただきました井上広法師の光琳(こうりん)寺様がありました。突然ではありましたが連絡をしましたら、ご多用の中でしたがご一緒していただけれることになりました。また、一昨年の5月の婦人会総会の時に「死の体験旅行」を開催させていただき、再来年(2019)の5月の婦人会総会の時にご講演を依頼しています神奈川県の「なごみ庵」の浦上哲也師もご同行いただけるとのことでうれしい再会のご縁をいただきました。

展覧会では、宇都宮氏(一族)のスケールの大きさに驚きました。武士でありながら法体姿の絵像や法然上人絵伝の中にも描かれている姿、遠くは奈良の東大寺や京都の泉涌寺、伊勢神宮への寄進など神仏への信仰も篤く、和歌への造形の深さなど知り、数多くの国宝など貴重な文化財をたくさん拝見することができました。栃木県にある本寺も宇都宮氏の領地にありますので関係が深かったことが窺えました。また、複製でしたが鉄塔婆(供養塔)の大きさにも驚きと同時に真仏上人の報恩塔を思い出しました。


続いて、井上広法師の光琳寺様にお参りに行きました。光琳寺様は、展覧会に展示されていました江戸期の古地図に宇都宮氏の居城の西側に、描かれており歴史を感じました。
東日本大震災の時、光琳寺様では、墓石の倒壊や鐘楼堂の屋根瓦の被害があったそうです。テレビや新聞だけの報道で知るだけでは分からない被害規模の1つを改めて教えていただきました。
ご本堂は耐震工事をされていたことで被害はなかったことが何よりと感じました。御本尊の阿弥陀様を取り囲む内陣の壁面に平等院の化仏が数多く荘厳されている光景は、これまで見たことがない内陣でした。余間には由緒ある閻魔様の像が安置されて、地獄絵と共に年一度お目にかかれる(ご開帳される)そうです。お堂内の荘厳もそうですが、境内にある鐘楼や墓地の整備にお同行の皆様が力を合わせて取り組んでこられたことをお聞きして、光琳寺様のこれまでの寺院活動に敬服することです。これから広法師の代になっても新たに地域との共存を含め素晴らしい寺院活動を継続されると思いました。

ハードな一日でしたが井上様、浦上様のおかげで実りある一日でありました。

※宇都宮と聞くと餃子も有名です。現地で食べる初めての宇都宮餃子やっぱり美味しかったです。餃子だけのお店で平日に関わらず多くの方が並んで待っています。駐車場の車も他県ナンバーが多かったです。

9月のおてらおやつクラブ

9月のおてらおやつクラブ

秋彼岸会の後、一人親家族、支援団体様へおすそ分けさせていただくことができました。季節も秋になり、少しずつですが過ごしやすい気候のようです。支援団体様ともお寺と一緒に何かできないかお話をしているところです。
お寺からの限られた支援ですが続けられるようにしたいと考えています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています>
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

10月の日曜学校は10月1日です。

今年も後3ヶ月ほどにになりました。過ごしやすい時期になりましたが、10月の日曜学校は10月1日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

秋彼岸会

前日の雨から晴れ間がひろがる中、秋の彼岸会のお勤めとご法話をご聴聞していただきありがとうございました。ご法話は、真楽寺の鷲山了悟師でした。植木等さんの「スーダラ節」のお話を交えて、正像末法和讃の愚禿述懐和讃の第20首の「仏智うたがふつみふかし・・・」の和讃のお心に触れさせていただいたご法話でした。布教使の鷲山師は、とても声が通りますのでご聴聞いただきました皆様にも毎回喜んでいただいています。
ご法話の聴聞が私をお育ていただけます。私の生死(しょうじ)のことが徐々にですがはっきりしてきます。布教使様と共に仏徳讃嘆できる場にご参加されますこと念願しています。
鷲山師のお子様は、小学生で今日(秋分の日)が運動会とのこと、午前中応援にいかれていたそうです。お寺から秋彼岸会のご案内をお同行様にさせていただいていますが、最近は、幼稚園や小学校の運動会が重なることも耳にします。ご多用の中ご聴聞いただきました皆様に感謝いたします。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

ご聴聞いただきました皆様には、小さな秋をご賞味いただきした。

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第20回】関東から京都へ 箱根にて
お念仏に無縁の関東の地に、念仏の種をまかれた親鸞聖人の教えは、高田門徒をはじめ各地に大きく広がりました。
しかし、関東に入られて20年、63歳頃この地を離れる決心をされました。少数の弟子をともなわれ、行脚の足を京都に向けながら、東海道の旅を続けられたのです。天下の険で有名な箱根にさしかかった時のことです。供に従ってきた性信房にこうおっしゃいました。「私が帰洛後どんな妨げがあるかも知れぬ。どうか私にかわって関東に留まり、門徒衆を教化してくれないか。」突然の仰せに当惑する性信房に、親鸞聖人は次の歌を示されました。
病む子をば あずけて帰る旅の空
心はここに 残りこそすれ
関東の門弟をわが子のように思っておられる聖人のみ心に、性信房はこの大任をお受けし、涙ながらに引き返したのです。
この時、聖人は愛用の笈を与えられたことから、この地は「笈の平」と呼ばれ「親鸞聖人御旧跡 性信房訣別之地」の石碑が歌碑と共に現存しています。
やがて、芦の湖畔、箱根権現にたどり着かれた時には夜も更けていましたが、権現が「わたしの尊敬する客がこの路を通る。丁寧にもてなすように」と、その示現が覚めやらぬ中に聖人が通られました。社人たちは、暖かくもてなし、親鸞聖人は三日三夜参籠、自ら木像を刻み献上されました。この木像は、現在も箱根神社に所蔵されています。こうして、京都への旅が、続けられたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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