報恩講は、12月3日午後1時30分からです

【報恩講(ほうおんこう)のご案内】
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として厳修されます。
妙華寺では、12月3日の第一日曜日にお勤めします
文字通り報恩講は、聖人のご遺徳に感謝申し上げる法会です。それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)である私は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に墜ちて当然でありますが、他力念仏の大道をお教えいただくことにより、お浄土に往生させていただく身になるからです。
聖人は、「この強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(あ)い難(がた)いこと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし
師主・知識の音読は  骨をくだきても謝すべし
と述べられました。
阿弥陀如来が「わが名を称えるものは、必ずお浄土に往生させます」という超世(ちょうせ)の願い(大悲)を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国(さんごく=インド・中国・日本)の七高僧(知識)が正しく伝承されて、「南無阿弥陀仏」が私に届けられたのであります。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、詳しくお示しされたのが真宗の教えであります。聖人は、このご縁はなにものにも代えることができない尊いことで「身を粉にしても、骨をくだいても報謝すべし」と最大級のお言葉で申されました。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯をわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです)
 妙華寺の報恩講のお勤めは、高田本山の「初夜」のお勤めをしています。
住職が登壇して毎年「式文」を順読しています。
また、妙華寺では、津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様で、こども食堂とお非時(ひじ)をご奉仕していただいています。今年は、4年ぶりのお非時を準備します。11時から妙華寺会館にてお召し上がりいただきますが、数に限りがありますのでなくなり次第終了します。

今年は、2年ぶりに西本願寺派の布教使の葛野(かどの)洋明(ようみょう)師にご法話いただきます。葛野(かどの)洋明(ようみょう)師は、西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授です。また高田派の若い布教使の育成に助言されています。 副住職(娘)のご縁で、妙華寺でご法話をいただきます。一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

報恩講

組内 西向寺の報恩講

新型コロナ感染症が蔓延した年から27組の報恩講は、各寺でお勤めすることとなり、4年間組内の各寺の報恩講に出仕することはありませんでした。今年5月の感染症法の取扱い変更になり、今年は各寺の判断によることになり、西向寺様の報恩講に出仕することができました。青空の中、4年ぶりに伺うと、これまで同様、四季桜が出迎えていただきました。4年ぶりの声明などの役割を決めてお勤めをすること、少し緊張はありましたが、改めて、報恩講を多くの方々とお迎えすることはとても大切なように感じました。次に組内の報恩講で出仕をお願いしているのは、妙華寺です。4年ぶりに賑々しくお勤めをしたいと準備をしています。

【報告】11月のTemple Morning

【報告】11月のtemple morning

10月は雨の心配で中止しました。
11のtemplemorningは、今年は暑い時期が長き、例年になく寒く感じました。
ご奉仕されました5名の皆様には感謝申し上げます。前日のような寒さではありませんでしたが、終了時の休憩は、本堂の中でとりました。境内の樹木の落ち葉が始まり、掃いても掃いてもきれいにはなりません。以前、お茶の稽古の時、お客様をお招きするまで掃除や清めることは大切ですが、お客を迎える時は、お客様に集中することで、きれいにすることは忘れなさいと師匠から言われたことがあります。目の前のことに集中していくことの大切さに気づくことでした。真宗の教えでは、雑念を払うことの意義はありません。
仏の「はたらき」にまかせた身でありますが、「生かされている」喜びを感じながら、自分のできることを精一杯する時間は尊いことです。

来年も4月から始めたいと思います。ご案内しますので、時間に都合がつきましたらご参加ください。

甘いもの

甘いもの
私(住職)は、小さかった頃から、「甘いもの」が好きです。当時は、冠婚葬祭の時にいただく「砂糖菓子」、日常では、お茶請けの饅頭、小遣いをもらっての駄菓子屋さんのお菓子。今より、質素なものでしたが貴重であったと思います。小学生になる頃にケーキを食べたのだろうか。誕生日くらいしか食べることはなかったと記憶しています。大学生や社会人になる頃に、今のように日常的に甘いものを食することができるようになったような気がします。ケーキ類も美味しいですが、和菓子の美味しさに気がついたのは、お茶の稽古を始めたこともあるようです。甘いもの原点は、果物からと聞いたことがありますが、秋になると「栗きんとん」がシンプルですが美味しいので好きです、若いころは、栗の産地の岐阜県の中津川や長野の小布施にもドライブ旅行をしたことが思い出します。地元の栗おこわ・栗粉餅・栗落雁他にも、栗は洋食のデザートでも美味しいですね。
お寺の報恩講は、12月です。他のお寺の住職様もお勤めいただくことで、お越しいただきます。その時、お出しするお菓子は、「ゆず饅頭」です。いつも楽しみにしています。

中陰の数え方

中陰の数え方

ご家族が亡くなられますと、枕勤め・通夜・葬儀と続きます。
ご家族に、中陰の日にちを記載した「中陰逮夜忌」と称している中陰票をお渡ししています。
妙華寺でも、初七日のお勤めを、葬儀が終わった後にご依頼されることが多いのですが、その後(二七日以降)のことは、少し時間があきますのでご家族で考えて改めて連絡をいただくようにしています。

最近亡くなられた方の家族から中陰の数え方を聞かれました。
私(住職)も若かった頃は、多くの方と同じように、亡くなられて一週間後が「初七日」にあたると考えていました。
そのように数えて中陰をお勤めされる場合もあると思いますが、妙華寺の場合は、亡くなられた日の前日から数えるとのことで、また、中陰の示し方も「中陰逮夜忌」として前日の逮夜の日を示しています。なので亡くなられた日の5日後の日にちが初七日の日にちにあたります。その後は、プラス7日の日にちで数えます。

先代からの話では、真宗では命日の前日の逮夜にお仏壇でお勤めし、命日の朝お墓勤め・本堂勤め(報恩講と同じ形)にならっていると聞いています。

親鸞聖人のご命日のお勤めを報恩講と申していますが、高田派の専修寺では毎年1月16日が命日の7日前の9日の逮夜からお勤めが始まり、15日に盛大にお勤めをいたします。そして命日の16日の朝 ご廟(墓)でお勤めをして、御影堂でお勤めがありご満座(終了)です。

後悔

後悔
先日、納骨のお勤めの後、私(住職)の両親が亡くなった時の自分の気持ちを思い出しながら、「頭が真っ白になったことや、やるべきことが多く時間が経過した」ことを話しました。その後、喪主様に今のお気持ちをお聞きする時間がありました。「後悔ばかりです」と仰られました。「母は我慢強く、泣き言一つ言わなかった。あの時(入院に至る過程に)、もう少し早く気づいていれば、今、亡くならなかったのでは」と、続いて「それを伝えることができないのが残念です」
喪主様の両親や祖父母の年代の方は、我慢強く、自分の弱みを見せることを良しとしなかった方が多かったと思います。身体がしんどくても病院にいかずに我慢する。自分が苦しかっても外にはみせない姿。時代背景もあったかもわかりませんが、そうやって生きぬいていたのだと思います。私(住職)も、喪主様のように両親を送って後悔することばかりです。送る側の心にはきっと「後悔」はついてまわるものなんでしょう。そこには、感謝を伝えることができないことも「後悔」に含まれていると感じています。

【案内】Temple Morningは11月19日午前8時からです

【案内】コロナ下から始まったTemple Morningは、今年で4年目を迎えます。
これまでも多くの方々にご参加いただきありがとうございます。

今年最後のTemple Morningは、11月19日(日)午前8時から9時頃までです。

Temple Morning お寺の朝(テンプルモーニング)はじめます
いつもと違う朝 気持ちを整えて集中できる時間を創りませんか

予定 お勤め(10分)・境内の掃除(30分)・お話(10分)・茶話会(自由参加)
風邪の症状のある方・37.3度以上の熱のある方はご遠慮ください。
お勤め・お話は、短めに、自由参加の茶話会は、当面中止します
掃除道具は貸し出します。途中出入り自由です。雨天は中止です。

お寺の掃除を今風に呼びかけるには、これまで妙華寺の境内(特にお墓)の草抜きなどの掃除は、古くは草抜きなどをされている方、そして現在は高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方にお願いをしていました。依頼していました方がご高齢になり、次の世代の方に草抜きを希望される方がいない状態になり2020年から境内(墓)の掃除が難しくなったことが主たる要因です。境内(特にお墓)の清掃として1年の内おそよ8が月延べ160日(1日6時間労働)ほどこれまで高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方々に境内の清掃をしていただいていました。お寺側の身勝手な思いでありますが、お同行の皆様のお力をいただき境内(特にお墓)がこれまでのようにきれいな環境を保てることを願う行事です。
各位のそれぞれのご事情もありますので、お身体の状況をお考えていただきお時間が許しましたら一緒に境内をお掃除しませんか。
Temple Morningは、境内(外)の掃除に集中してすることで気持ちを整える時間です。
お一人お一人十分なほど距離をとることは可能です。

※5月8日から新型コロナウィルスの感染拡大防止について、5類に変更され、個人の判断に委ねられました。様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。

本堂入口に非接触型体温計・アルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
マスク着用は個人の判断になりました。
また風邪の症状の方・体調の優れない方はご参加をご遠慮していただく考えです。
そして健康である方も、不安を抱えながら参加する行事ではありません。
どうかご無理のないお気持ちでご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

年6回 第3日曜日午前8時から1時間【1月・2月・3月・7月・8月・12月は休会・雨天中止】
4月16日(7名参加)・5月21日(5名参加)・6月18日(7名参加)・9月17日(6名参加)・10月15日(雨天中止)・ 11月19日
清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか

登録文化財

登録文化財
広報つ(令和4年)10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました。改めて振り返ってみたいと思います。
「妙華寺 本堂」が国登録文化財(建造物)に登録されたのは、平成16年11月8日です。
妙華寺としては、そのことを記念して、平成17年、当時早稲田大学文学部教授(専門は日本近代史)の深谷克己先生に「妙華寺と久居藩世界」の原稿を賜り「法苑院妙華寺縁起」の冊子を作成しました。
その後、平成28年には、登録文化財の説明文をを当時、(一社)お寺の未来の松﨑香織さんに英訳していただきした。
平成30年3月には、 一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値を認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。

他にも、東海TV「スタイル+」やZTVの市政案内。季刊誌の「すばらしきみえ」などで紹介されています。思い出深いのは、東海TVの「スタイル+」で紹介していただいた時、犬好きの照英さんが、犬と戯れているカットが終了間際に放送されたことで、愛犬家が愛知県や三重県の他市町村から犬を見に訪ねてこられたことは驚きでした。

※つ広報10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました文書の冒頭の所在地が「津市元町」とありますが「津市二ノ町」が正しいです。

※お寺のHPブログ2022-10-16の再掲です

登録文化財

登録文化財 トレーディングカード
平成30年4月には、(一社)三重県建築士会様が「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。
三重県内にある登録有形文化財の文化的・観光資源としての価値を認識し、さらなる活用と地域の活性化の一助としてのものです。
これを縁として、全国から多くの方がトレーディングカードを求めに妙華寺にお越しいただいています。

登録文化財

登録文化財
「すばらしきみえ」の掲載文も紹介します。
【「すばらしきみえ」三重の「国登録有形文化財」平成20年10月発行より】
久居の中心部を歩くと、久居旅籠町・久居東鷹跡町(ひがしたかと)など、かつての城下町を彷彿させる地名が続きます。
雲出川の北に広がる野辺野(のべの)の丘に居を構え、町を形成したのは、藤堂高虎の孫、高通(たかみち)で、寛文9年(1699)のことでした。久居とは彼がこの地に「永久に鎮居する」の意味を込め、命名したと伝わります。
久居二ノ町には、玉せん寺(ぎょくせんじ)と妙華寺(みようけじ)が並びます。どちらも藩主藤堂家ゆかりの名刹。しかし、文政4年(1821)の大火でいずれも焼失の憂き目に会いました。玉せん寺は、明治時代に再度本堂を失ってしまいましたが、妙華寺は安政4年(1857)の再建から今日にいたるまで、150年の間この地に建ち続けています。
現在、妙華寺本堂を訪ねると、随所から歴史の重みが伝わります。中でも見事なのは、参詣者が本堂に上がる場所・向拝(こうはい)に見られる装飾でしょう。エビのように曲がった化粧梁は、「海老虹梁」(えびこうりょう)、木鼻(きばな)のキバの無い動物は「獅子」、有る方は「象」を表していることなどを、住職の中川和則さんから教えてもらいました。
屋根に視線を移すと、途中で形が変わり、まるで2段構造になっているように見えます。この形が、兜の左右から後方に垂れて首筋を覆う錣(しころ)に似ていることから「錣葺」といわれる、独特の造りです。
開基は天和元年(1681)までさかのぼる妙華寺、寺の存在は、今後も久居の歴史の1ページを飾ることでしょう。

※玉せん寺(ぎょくせんじ)の「せん」は、旋の「方」が「さんずい」になります。