「待つ」こと

待つ
「待つ」にまつわる本を読んでいます。
私(住職)には、「待つ」って聞くと「待たされる」感じですが、「待たす」こともありますね。「待たす」と「待たされる」ことで言えば心理的には「待たされる」ことは緊張が高まることはありえます。せっかちでついつい早めに行動しないと気が気でない私(住職)は、好きで「待たされる」訳ではないけれど多くの場合この状態になります。相手は、決めた時間に間に合っているのに、なぜだか不機嫌になる自分がいます。

これまでの時代では「待つ」ことが当たり前だったことが、今は「待たず」にできることが多くなり、なんだか便利になったようだけれど、心の状態は、はたして「待たず」にできる状態が良いのかはわかりませんね。
本の中で「待つ」にいて書かれた書物がたくさん紹介されるのですが私(住職)は、どれ一つ手に取ったことがないものばかりで、紹介されたのもが全て消化できるわけでなくページをめくるのが疎かになります。

グリーフケアで「傾聴」の大切さを教えていただきました。宗教でも相手のことをお聞かせいただく「傾聴」は大切なことですが、「傾聴」として、聴くことは相手のお話を「待つ」ことで、相手から見ると何をいっても受け入れてもらえることですので、聴くことは、自覚して「待つ」ことができないと、傾聴にはなりません。 予測不能のことを「待つ」時、自分の心がふらついていると「傾聴」は難しいです。