高田の宗風

高田の宗風
【高田婦人要典】昭和46年3月15日発行にの中に、高田の宗風として書かれた文章を、中川が一部省略したものを紹介文として掲げます。

・高田派の宗風
①ひたすら聖人のみ教えを忠実に継承する
第17世圓猷上人の御書(5の7)に、「正に今聖人より次第相承の安心(あんじん)、一器
の水を一器にうつすが如く、糸毫(しごう)をへだてずして教化せしむるものなり」

②「念仏高田」の言葉に示されている、信行具足の念仏重視の傾向
「教行証文類」も、行文類の次に信文類を次第されている。
「弥陀の名号となえつつ 信心まことに得る人は 臆念の心つねにして 佛恩報ずるおもいあり」(正像末法和讃 国宝本第5首)に見えるように、

先ず念仏を称えるということがあって信が展開する。高田の宗義はこの「行信」のお心を正しく相承したものである。
※称名念仏を信後の報恩行とする傾向は高田の宗風にそぐわない。
※高田の宗義を「半鎮半天」(半分は浄土宗の鎮西派で半分は天台宗の自力念仏宗)とけなすことがあるが、念仏重視の宗風を表面的に受け取った非難で、このような非難こそ真宗教団の衰弱を意味するもの。
※高田の歴代は法脈相承で、正しい法流を継承することこそ真の血脈相承

③所依の聖典に、(宗教法人真宗高田派宗制)宗祖の撰述の中に「皇太子聖徳奉讃」の名を挙げているのが他派と異なる所。
宗祖聖人は聖徳太子を観音菩薩の化身と仰ぎ、「和国の教主」と讃歎しておられるので、三帖和讃と共に太子奉讃を尊ぶのは当然のこと。
宗祖のお心を反映し、第2祖真佛上人・第3祖顕智上人ともに太子奉讃を書写されて、宝庫に現存している。
高田のお寺は、太子堂を持つ所も少なくない。

④「高田御書」は、1人の上人の著述でなく、宗祖聖人の御書が多く収められていると共に中興上人以下代々上人の御書が集められている。しかも、代々上人の御書には、宗祖や7祖の聖教が引用されている。祖訓に拠ろうとする高田の宗風のあらわれ

常に原点に立ち返り、古きを学んで新しきを尋ねようとする宗風は、保守的と言えましょうが、高田の宗門には何一つタブーがありません。譬え本山に不利になることであっても、真実であるならば堂々と発表するのが高田の伝統。
これまで聖人の御真筆と伝えられた宝庫の数々の御聖教のうち、真筆でないと判明したものは躊躇なく「真筆に非ず」と発表して来たのが高田の学者である。
タブーのない、開かれた教学を持っていることも実にうれしいこと。

宗祖に直参する心は、当然華美なるものをしりぞけます。門跡寺院の格式として、お厨子は、お扉つきの最高のものを依用しながら、供華(くげ)は一本松の簡素さであり、本堂への出仕には履き物を用いない(法主のみ藺草履)など「お仕えする心」に徹した質素な美しさを、尊い宗風として一層仰いで参りたいものであります。

※法の流れ(歴代法主の御事績)の最後にも、「高田の流れは、南無阿弥陀仏の流れであります。南無阿弥陀仏の流れは、お仕えする心の流れであります。(中略)私たちの1人1人が、お仕えする心をもって結ばれたなら、どんなにすばらしいことでありましょうか。これこそ、教団のあるべき姿であり、和合僧の姿であります。1人でも多くの人々が、この流れを汲んで、一味の海に入れるよう、お念仏を申したいものであります」と結ばれています。