今年1月から2月末の予定で、本堂東楽の間の屋根・内部改修工事でご迷惑をおかけしています。
本堂が使用できない期間、妙華寺会館を仮本堂として使用しています。
現在 妙華寺会館のご本尊は、一光三尊佛です。阿弥陀佛と観(世)音菩薩・勢至菩薩が1つの光背にある形です。有名なのは、長野(信濃)の善光寺の一光三尊佛様があります。親鸞聖人が善光寺からいただいたと伝わる一光三尊佛が、栃木県の本寺のご本尊様です。高田派では江戸時代に入って本寺の一光三尊佛のご開扉が始まり、その模刻が始まったようです。
妙華寺の一光三尊佛も江戸時代に作製されたものです。平素は、12月の報恩講の時にご開扉していますが、今年は仮本堂として使用しています期間ご開扉しています。
一光三尊仏立像 三駆 江戸時代 三重県津市 妙華寺所蔵
中尊 寄木造 玉眼 肉身部分金泥 衣部分漆箔
観音・勢至 各一木造 玉眼 肉身部分金泥 衣部分漆箔
像高 中尊 39.5cm 観音・勢至 28.3cm
像と一具の厨子に安置される一光三尊仏像で、通常は妙華寺の宝庫に保管されている。中尊の頭部形状、脇侍の五角形の宝冠や裳の形状等、高田山式の一光三尊仏像の特徴を顕著にあらわしている。また、両手足の指の爪をあらわすなど、細部にまで行き届いた丁寧な表現を見せている。像や厨子等に年号や作者等を示す銘文はまったく見当たらないが、作風から判断して18世紀末から19世紀の初め頃に制作された像と考えられる。
【親鸞 高田本山専修寺の至宝展】資料解説より
一光三尊仏立像
信濃善光寺の本尊一光三尊仏立像は、古くから秘仏として知られている。飛鳥時代に百済からもたらされたと伝えられ、鎌倉時代にはその模刻像の制作が流行し、関東地方を中心に今も数多く残る。その像容は、一枚の光背に中尊と左右の脇侍を配した「一光三尊」と呼ばれる形式で、中尊は衲衣を偏袒右肩に着して右手は施無畏印、左手は垂下して第二・第三指を伸ばしたいわゆる刀印を結ぶ。両脇侍はそれぞれ八(六)角形の宝冠を付けて、両手を胸前で上下に重ね合わせる姿である。これに対して「高田山式」とでも言うような、真宗高田派独自の姿をあらわした一光三尊像が伝来している。これは、下野高田専修寺の如来堂本尊の姿を模したもので、そのほとんどが近世の作である。基本的には善光寺式阿弥陀三尊の像容であるが、何点かの異なる特徴を有している。
展覧会での真宗高田派寺院に伝来する一光三尊仏の特徴
ほとんどが近世の作で木像が多い。
・中尊の頭部が縄目状の頭髪をあらわす。
・両脇侍の宝冠が五角形。
・両脇侍の裳の衣文表現が明らかに異なる。
・光背は、中尊の頭光中心部の八葉蓮華や外縁に絡み合う蓮華唐草文をあらわさない。
・光背の化仏が三体のものがあるる
・光背の中尊頭光左右に見られる雲焔文が非対称である。
・光背と三尊を載せる方座に格狭間をあらわさないものがある。
【親鸞 高田本山専修寺の至宝展】資料解説より 瀧川和也