前坊守の往生

母(前坊守)が往生しました。
母は、前々住職の4人姉妹の長女として昭和6年に生まれました。
名前は「晁(あさ)子」と名づけられましたが、この名前に両親は母に何を託したのだろうと考えることがあります。

母は10代半ばで終戦を迎え日本中が困難な生活をしている中の苦労も経験し、その苦労話も随分前には聞かされたことを思い出します。

4人姉妹の長女として23歳でお寺の養子になる私の父を迎え、25歳で私が生まれました。その時、祖父(母の父)がとても喜んでいたと言うことは、叔母や親戚の方から何度も聞いていますが、母は私に何を託したかったか。
今より家を重んじることが当たり前であった時代の世代だから、このお寺のことを私に託していたと感じています。

私が住職を拝命してからも、これまでどおり私の生活態度に対して厳しく、母が母の両親や祖父母から教えられた、今では時代遅れと思われるこれまでのお寺のしきたりや決まり事を私に教えてくれていたように思います。それに反発したり感謝する私がいます。厳しい母でありましたが、私が考えて行うことには、最後は順ってくれていました。

9月に久しぶりに面会できましたが、その時の母は目も開けることもなく、私の声も認識できず、「お願いします」ばかり繰り返していました。

老人保健施設に入所する時も本当は、家に居たいのに、息子の言うことだから順ったのだろうと思っています。

昭和・平成の妙華寺を長年坊守として支えていただいたことに感謝しています。
また、多くの皆様には親しくさせていただきありがとうございました。

前坊守の通夜 12月6日(日)18時から 妙華寺会館

前坊守の葬儀 12月7日(月)14時から 妙華寺本堂

※コロナ禍の通夜は、17時からお勤めまでに自由焼香(お別れ)
※密葬は、家族と近親者の時間がある方
※葬儀は、13時からお勤めまでに自由焼香(お別れ)
※お別れに不安があれば強制はいたしません。