【案内】高田本山報恩講(お七夜)

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。

高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。
昭和の時代ですと、お正月が過ぎ、年明けの仕事が始まっていますが、お七夜に参詣して本格的に仕事に取り組まれるということをお聞きしたこともあります。

期間中は、多くのイベントが山内を中心に行われますが、宝物館(燈炬殿)では、お七夜期間だけの「伝燈 燈火を伝える歴代上人」展が開催されます。ご関心・ご興味がありましたら是非お立ち寄りください。

また、14日晨朝のお勤めの(7時)後、御影堂で妙華寺の副住職がお話させていただきます。朝が早いので、現地に行くことが難しい場合YouTubeでも配信されますので、ご視聴いただくこともできます。

お寺の1月

お寺の1月
お寺で生まれた私は、毎年お寺で元日を迎えています。当たり前といったら当たり前ですが、自分ながら驚いてしまいます。
子どもの頃の記憶はあいまいですが、高校生2年の時、友達と大みそかに(伊勢)神宮に行きました、元日に入った頃、お寺(自宅)に帰ってきた時も、5時30分からの修正会には間に合いました。その当時は、年末からの準備も楽しかったです。30日に家族で餅を搗き、ご本尊にお供えすることが目的ですが、その場で食するできたての餅が美味しかったことは今でも覚えています。修正会のお勤めが終わると、内仏さんで朝のお勤めを家族全員でしてから、元日の朝の食事が始まります。清酒に屠蘇散を入れたお屠蘇で、お雑煮は、おすましでした。元日の夜の「すき焼き」も今より質素でしたが記憶に残っています。祖父母がいる頃は、祖父の弟も参加してにぎやかでした。本堂の正月荘りを片づけるのが3日の夕方で、お供えのお餅を切り分けるのが大変でした。
母の妹家族が新年の挨拶に見えるのは、2日か6日以降が多かったです。以前は、3日と5日が組内のお寺の報恩講に伺っていましたし、4日は自坊の地区の報恩講で、少しゆっくりできるのが6日以降だったからだ。しかし9日から16日まで本山のお七夜が始まりますのでそうゆっくりもしていられません。そうこうしていると1月の下旬には、世話方会や以前は婦人会の報恩講と続いて、お寺のお正月(1月)が過ぎてしまいます。

※今は、3日5日の組内の報恩講が12月になり、世話方会の総会は4月に変更し、婦人会の報恩講はなくなり幾分時間がある1月です。

【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演

【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演
(共催 真宗教団連合三重県支部)
日 時 令和6年2月20日(火)開演14時(開場13時30分)
開 場 お城ホール(津リージョンプラザ)津市西丸之内23
観劇料 6,500円(全席自由席)

問い合わせ 法苑院 妙華寺 059-255-2846
お寺から、真宗教団連合三重県支部事務局へ連絡します。
※申し込み順で満席になった場合は、申し込みできませんのでご了承ください。

昨年は、三重県総合博物館で『親鸞 専修寺の至宝』展が開催され何度か足を運びました。
今回の演劇も、近くの会場で観ることができるのはうれしいことです。
ご興味・ご関心があり、ご都合がつきましたら是非足をお運びください。

【報告】修正会お勤めしました

【報告】新しい年の最初のお勤めを皆様ともにできましたことありがとうございました。
まだ暗い、朝5時30分と言う、少し早い時間からのお勤めにご参加いただきました皆様には感謝申し上げます。お寺の行事への参加が少なくなり、お寺や仏法が生活者の方にどのように捉えられているか心配がふくらむ時代ですが、前々住職・前住職の時から47年間修正会でお勤めができたことは、私(住職)にとっては、有難い時間です。
また、後何年お勤めができるのかわかりませんが、縁あるかぎり共にお勤めさせていただきたいと思います。
例年では、お屠蘇やお仏飯のおさがりを用意するのですが、昨年と同様今年も控えさせていただきました。
お勤めは、鎮国文・重誓偈・正信偈・現世利益和讃(15首)・繙御書で、平素高田派のお勤めで和讃は五首ですが、修正会では15首拝読するのが独特です。
修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。
ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝読する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。毎年拝読しながら、昨年1年を振り返りますと、過ぎ行く時間は早く、世務に明け暮れて、仏法に遇うことが難しいと反省ばかりです。

向かって左側の余間は、正月荘として、妙華寺の初代から11代の位牌や像・絵像を敬置します。

大間には、今年の繰り出し(年忌)を披露しています。

修正会を迎えた後、16時10分頃に震度3の揺れを感じました。令和6年能登半島地震での揺れです。阪神・淡路大震災の時の縦揺れは感じませんでしたが、長い時間の横揺れを感じました。揺れが収まり本堂に行くと、まだ吊灯篭や輪灯が揺れていました。
時間が経つ中、被害の状況も、徐々に明らかになってきています。
この地震で亡くなられた方にお悔み申し上げます。また、災害に遭われました皆様にお見舞い申し上げます。

この地震で、感じることは、修正会でお勤めします『鎮国文』です。親鸞聖人が真実の教えと仰がれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の一節です。

『佛所遊履(ぶっしょゆうり) 国邑丘聚(こくおうくじゅ) 靡不蒙化(みふむけ) 天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがつしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ) 災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうかむゆう) 崇徳興仁(しゅとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)』

と、説かれています。この文を分かりやすく換言しますと、

「仏が行かれるところは国も町も村も、その教えにさからうようなことはない。そのため世の中は平和に治(おさ)まり、太陽も月も明るく輝(かがや)き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は安穏(あんのん)にくらし、軍隊や武器をもって争うこともなくなる。人々は徳をもって思いやりの心で、あつく礼儀を重んじお互いにゆずり合うのである。」

とおおせられました。

このような尊い教えをいただきながら、悲惨な戦争や災害が繰り返されているのは、全く悲しいことです。私たちの家庭や日常生活を反省してみますと、親鸞聖人の”世の中安穏なれ 仏法ひろまれ”と申されるおことばがお念仏とともに力強く私たちの心に響いてまいります。

高田本山 ひとくち法話No97 ―諸法会5― より

法友

法友
親鸞聖人の「み教え」に興味を抱く友がいます。中高の同級生ですが、大学以降疎遠になっていました。同窓会で会えば話をする関係ですが、もう10年以上前に、彼のお父さんが亡くなられたそうです。父の葬儀をしてから菩提寺の住職に、親鸞聖人の「み教え」を学ぶことをすすめられたそうです。これまで、仏教に縁がなかった彼でしたが、高田本山で開催される夏の仏教講座に菩提寺の住職と共に聴聞されたそうです。それから、毎年高田本山の仏教講座や講演などに参加するようになり、高田短期大学の主催される仏教専科(2年で1クール)の講座にも毎回参加されています。高田本山での仏教講座や講演で顔を合わすようになり、仏教を学ぶきっかけや近状をお聞かせいただくことになりました。
もう1人の方は、同じ趣味の仲間で、退職後、市内の仏教を学ぶ会に参加されるようになり、高田本山での仏教講座などにも参加されています。京都の本願寺の聞法会館での講座の帰りにバス停で偶然お会いして、法を求める強さを感じました。二人とも自分の生活の中で聴聞する時間をつくられ、親鸞聖人の「み教え」を喜んでいらっしゃいます。私と会うのは年に数回ではありますが、仏縁に結ばれた法友であります。

もちろん、同じ仏教の道を歩む僧侶も、法兄・法友であり、親しくお教えをいただく師であります。索漠とした社会で生活をしていますが、仏の「はたらき」から気づくことはたくさんあると感じます。
自分の生活から離れているような仏教の教えでありますが、仏法に出遇うと、どうしても世俗の損得勘定で表現してしまいますが、私の生活がより豊かな気持ちになります。

※中川個人の感想です。

また、新しい一年が始まります。法友が増えるとうれしいです。