新しいこころみ 「親あるあいだの語らいカフェ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新しいこころみ
今年5月に「お寺と教会の親なき相談室」の設立キックオフ講演会を開催させていただきました。そして、これから「親あるあいだの語らいカフェ」を開催する準備しています。

既に「親あるあいだの語らいカフェ」を開催されています岡崎市の本光寺様が7月3日に予定されていましたので、参加させていただきました。

本光寺さんは、電車で乗り換えを含めて2時間で岡崎駅へ、駅から3Kほどにある大谷派の寺院です。本堂と山門が、国の登録文化財でとても素晴らしい建造物です。このこともとても興味があるのですが、今回は、「お寺と教会の親なきあと相談室」を開設されていらっしゃることを教えていただき伺わせていただきました。本堂横の門徒会館が会場で、多くの皆さんが集まる場が用意されていました。5月に開催され2回目の「親あるあいだの語らいカフェ」に、およそ20名の方が参加されていました。市の福祉関係の方、地域包括センターの方、社会福祉協議会の方、民生委員の方、障害のある方の支援団体の方と親御さんと地域の様々な方々が集まる場でした。
支援側の団体も「つながり」を求められていらっしゃいます。当事者の方も「つながり」を求められていらっしゃり、これまで活動をされていられていることは当然で、きっとこれまでも「つながる」ことの必要性を感じられ協議会のようなものはあったのではないかと考えるのですが、お寺を一つの拠点(「場」)として「つながる」ことの意義をどのように作っていくか、課題もあると思いますが、考える刺激をいただきました。

妙華寺では、10月7日(土)13時30分からを予定しています。
今は、「つながりの場」と「傾聴の場」をどのように作るかが課題です。
このことにご関心のある方からご意見をいただきたいと思っています。

住職は大変だ

 

 

 

 

 

 

 

 

住職は大変だ
お釈迦さんの時代の僧侶は、出家得度をして、修行して、教えを乞う人々に、教え伝えていく(遊行)存在でした。
今の日本の僧侶も教えを伝えることの本質は同じですが、出家の意味合いが薄れて世襲も含まれるし、教えを伝える方法も遊行ではなく一つのお寺を護持しながらの伝え方がほとんどだと感じます。

お釈迦さんの時代の僧侶と、今の日本の僧侶の相違点は、何かと問われると、お釈迦さんの時代の僧侶は修行だけに専念できる環境であったこと。今の日本の僧侶は、修行が一番大切であることは同じですが、お寺の護持(経営)も必要なことでしょうか。

私(住職)は、中学3,年の夏休みに、毎朝、祖父と一緒に「阿弥陀経」のお勤めをすることになり、9月15日(敬老の日)に得度をしました。
大学生になると、祖父が伺っていたお盆勤めや報恩講のお勤めのお同行さんの自宅でお勤めをしたり、葬儀に随行しながら作法を学んでいました。社会人になると、本山出仕の法式作法や高田教学の学ぶ時間があり、平成18年10月10日に住職拝命を受け、お寺(宗教法人)をお預かりすることになりました。
前住職は父で、在世中の交代でありましたので、多くのことをスムーズに引継ぎ、交代したと思います。住職拝命の書類をもって、法務局で宗教法人の代表役員の変更。お同行さんへの挨拶、組内寺院への挨拶などをすましての寺院運営が始まりました。これまでのお寺の行事や葬儀・年忌法要などのことは、前住職と一緒に30年ほど法務の手伝いをした中で覚えたものでした。
しかし、住職の立場は、初めてで代わる者がいないので、寺族の時点では目に見えないやるべきことがあることを知りました。
お同行様が、お亡くなりになれば、枕勤めに伺い、ご法名を加授させていただく中には、本山への院号の依頼、それに伴う院号冥加金の会計処理。新たなお寺への入檀の相談や転檀や墓じまいの相談業務。
毎年の宗教法人の会計の決算報告やお世話方様への報告、それらを含めて三重県(主管)への事務所備付書類の写しの提出。私のお寺の規模としては提出義務がない収支決算書なども、前住職の時から作成し提出していましたので続けています。
住職や寺族は、宗教法人の給与所得者ですので、年2回の所得税の支払い。地方税や毎月の健康保険料・年金の給与からの徴収(天引き)、そして支払いなど、これまでしたことがなかった事務が加わりました。
2・3年続ければ慣れることではありますが、毎年緊張はかわりません。

他の宗教法人の代表役員もこれらのことを正確に行っているので、私だけが大変だと言っているのは、「恥ずべき」ことでありますが、一つの宗教法人をお預かりされていただくことはとてもエネルギーがいるようです。
それと同時に、真宗僧侶としての生涯に渡っての親鸞聖人のみ教え(教学)の学び。お寺としての社会貢献や支援についても考えていかなければならない時代だと感じています。

 

今昔写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今昔写真
「津市の今昔」の写真集が販売されています。
津市の「これまで」と「今」を写真で紹介されています。
お寺に残っている写真を見ますと私(住職)の祖父(明治33年生まれ)の結婚(昭和2年か3年)の頃から白黒のスナップ写真が残っています。お寺の住職や坊守の遺影写真も祖父の両親ら残っています。その後、父母の時代の写真や私(住職)の少年期の写真、私(住職)の子供の写真などのアルバムがありますが、その後、デジタルカメラになり、写真データとしてパソコンなどに保管するようになり、写真として残すことが少なくなりました。
また、お寺の行事や家族のスナップ写真はありますが、お寺の定点写真となると、探しても見つかりません。そのような中で、平成26年の一光三尊仏御開扉の時の写真を、地域での祭りの部門で紹介していただきました。
今の津市は、平成18年に周辺の市町村が合併しての津市ですので地域が広くたくさんの写真が掲載されています。自分の住んでいる町の「今昔」の写真を見ながら、町の変化を懐かしんだり、驚いています。

効率

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

効率
私(住職)は、日常の生活で効率を求めている。これは、私だけでなく多くの人がそうであるのかもわからない。時間の管理や限られたお金の管理、健康管理など、どうしたら、うまく生きていくことができるか。知り合いからの情報やハウツー本やインターネットで知識を仕入れて、実践してみる。コストパフォーマンスやタイムパフォーマンス、ライフパフォーマンスという言葉はどこかで聞いたことがあるでしょう。別にこれ自体が悪いことではないと思うが、それらにとらわれすぎるとやはりよくないのだろう。私の心の問題になるのだろう。
話は、代わるが、私(住職)のこれまでの人生を振り返ると、「効率」を求めていたようで、それほど効率はよくないような生き方をしている。志望大学にも入れず、留年も経験している。人間関係を作るのがが苦手で、壁をつくってしまうこともある。生きているのが苦しいと思ったこともある。世間の基準からすれば、どちらかといえば落ちこぼれの人間だろう。

そのな私(住職)でも、今を生きている。自分の判断や世間の常識だけの判断を唯一の物差しで生きていたならば、生きるのが苦しいだけと思っていたかもわからない。
私を見守ってくださる「物差し」に出遇うことで、私が私のままでよかったことに気づかせていただくことができ、苦しいことや悲しいことにも素直に対応していることができていると思う。
私を見守ってくださる「物差し」は、仏教の浄土の教えであるので、その教えを大切にしていきたいと思っている。

高田本山 燈炬殿 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高田本山 燈炬殿 VR 専修寺360
新しい宝物館の一角にあるVR室で、「SENJUJI 360」の映像を楽しみました。
自分の目で見る高田本山の境内、御影堂の中はとても素晴らしいものです。すべてが大きな建造物で、それをもう少し近づいてみたいなと思うこともあります。最新の技術によって見ることが可能になり、貴重な体験でした。
この映像からなにを感じるのか様々なものがあります。建築の視点であったり、美術的な視点であったり、歴史的な視点からも拡がっていくような感じです。
第一回の企画展は、7月9日までです。時間がありましたら、ぜひ訪れてください。

「燈炬(とうこ)殿」真宗高田派本山専修寺宝物館
正像末法和讃
「无明長夜の燈炬なり 智眼暗しと悲しむな 生死大海の船筏なり 罪障重しと嘆かざれ」 弥陀の本願は煩悩の長い夜の闇を破る燈火である。さとりの眼がないからとて、悲しむに及ばぬ。弥陀の本願はまた迷いの大海を渡す船である。罪とかが重いからとて、決してなげくに及ばない。
【註解 国宝 三帖和讃】常磐井鸞猷著

「无明長夜の燈炬なり」この左訓は「煩悩を長き夜にたとう。燈はつねのともしび、炬は大木なるともしび。弥陀のおん誓いを燈にたとえ申すなり」です。この一言は法然上人がお亡くなりになり、謝恩会のご法事(中陰中 六七日)が催された。そのときに聖閣法印が導師を勤め、「表白文」をのべられる。そのなかにでてくる言葉です。
「无明長夜」私たちの実感できる言葉が「長夜」です。夜明けのこない長い夜、これをもって私どもの「無明煩悩」を喩えられたものです。その「無明」を破らんがための燈
です。信心というものは、いつでも無明と光明の瀬戸際にたつ、その時を捉えたものです。「智眼暗しと悲しむな」智慧のまなこがくらい。「如来の智慧を聞かせたまえ」と、これは人間の無底の底からの深い祈りです。人間の悲しみとして、一番多きなる悲しみは、智慧の眼の暗さであります。
「智眼暗しと悲しむな」ということは、如来が人間の悲しみを見通されての言葉であります。私らの生活設計というものは、悲しむことのないように、笑って暮らそうと、みんな思っている。仏法はそうでない。まず悲しむ心をもちなさいという。何が悲しいかというと、「智眼の暗さ」が悲しいのです。智慧の眼を盲(めし)ていることが悲しい。私はこの
「智眼暗しと悲しむな」というのは、非常におごそかなものだと思います。まず、私の「智眼暗しと」と悲しむところからはじまる。泣いてもいないのに泣くなといったって、他人ごとに聞こえるのは当然です。泣いている人こそ泣くなという呼びかけが響くわけです。法然上人は「悲しむ心をもつべし」と、これは(親鸞)聖人が84歳になって、お手紙のなかに、法然上人のこの言葉をありありと思い出していられます。如来のお心においては、人をとがめないで悲しむ心である私たちが如来のお心をいただくためには、この悲しむ心という場がなければ、如来がおでましになる場所がない。悲しむ心をおこした私に「悲しむな」と、こう呼びかけて下さる。「罪障重し」と歎いておる人に「なげかざれ」と、ここに罪を許す大悲の温情が身に迫って生きてきます。
「生死大海の船筏なり」「みだのがんをふねいかだにたとえるなり」。生死流転の無明の大海に溺れて救いを求めている私に、ここに船がある筏があると。
「罪障重しと嘆かざれ」罪障の重いということがわからないものに、「嘆かざれ」という言葉は響いてまいりません。私は罪と障りの塊りだということを知らしめられ、その罪と障りをどうしようもない私に「罪障重しと嘆かざれ」との思いがけない呼びかけを聞いて、ここに如来の本願があると、はじめてこれが響いてくるのであります。
【正像末法和讃講話】川瀬和敬著