効率

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

効率
私(住職)は、日常の生活で効率を求めている。これは、私だけでなく多くの人がそうであるのかもわからない。時間の管理や限られたお金の管理、健康管理など、どうしたら、うまく生きていくことができるか。知り合いからの情報やハウツー本やインターネットで知識を仕入れて、実践してみる。コストパフォーマンスやタイムパフォーマンス、ライフパフォーマンスという言葉はどこかで聞いたことがあるでしょう。別にこれ自体が悪いことではないと思うが、それらにとらわれすぎるとやはりよくないのだろう。私の心の問題になるのだろう。
話は、代わるが、私(住職)のこれまでの人生を振り返ると、「効率」を求めていたようで、それほど効率はよくないような生き方をしている。志望大学にも入れず、留年も経験している。人間関係を作るのがが苦手で、壁をつくってしまうこともある。生きているのが苦しいと思ったこともある。世間の基準からすれば、どちらかといえば落ちこぼれの人間だろう。

そのな私(住職)でも、今を生きている。自分の判断や世間の常識だけの判断を唯一の物差しで生きていたならば、生きるのが苦しいだけと思っていたかもわからない。
私を見守ってくださる「物差し」に出遇うことで、私が私のままでよかったことに気づかせていただくことができ、苦しいことや悲しいことにも素直に対応していることができていると思う。
私を見守ってくださる「物差し」は、仏教の浄土の教えであるので、その教えを大切にしていきたいと思っている。