住職は大変だ

 

 

 

 

 

 

 

 

住職は大変だ
お釈迦さんの時代の僧侶は、出家得度をして、修行して、教えを乞う人々に、教え伝えていく(遊行)存在でした。
今の日本の僧侶も教えを伝えることの本質は同じですが、出家の意味合いが薄れて世襲も含まれるし、教えを伝える方法も遊行ではなく一つのお寺を護持しながらの伝え方がほとんどだと感じます。

お釈迦さんの時代の僧侶と、今の日本の僧侶の相違点は、何かと問われると、お釈迦さんの時代の僧侶は修行だけに専念できる環境であったこと。今の日本の僧侶は、修行が一番大切であることは同じですが、お寺の護持(経営)も必要なことでしょうか。

私(住職)は、中学3,年の夏休みに、毎朝、祖父と一緒に「阿弥陀経」のお勤めをすることになり、9月15日(敬老の日)に得度をしました。
大学生になると、祖父が伺っていたお盆勤めや報恩講のお勤めのお同行さんの自宅でお勤めをしたり、葬儀に随行しながら作法を学んでいました。社会人になると、本山出仕の法式作法や高田教学の学ぶ時間があり、平成18年10月10日に住職拝命を受け、お寺(宗教法人)をお預かりすることになりました。
前住職は父で、在世中の交代でありましたので、多くのことをスムーズに引継ぎ、交代したと思います。住職拝命の書類をもって、法務局で宗教法人の代表役員の変更。お同行さんへの挨拶、組内寺院への挨拶などをすましての寺院運営が始まりました。これまでのお寺の行事や葬儀・年忌法要などのことは、前住職と一緒に30年ほど法務の手伝いをした中で覚えたものでした。
しかし、住職の立場は、初めてで代わる者がいないので、寺族の時点では目に見えないやるべきことがあることを知りました。
お同行様が、お亡くなりになれば、枕勤めに伺い、ご法名を加授させていただく中には、本山への院号の依頼、それに伴う院号冥加金の会計処理。新たなお寺への入檀の相談や転檀や墓じまいの相談業務。
毎年の宗教法人の会計の決算報告やお世話方様への報告、それらを含めて三重県(主管)への事務所備付書類の写しの提出。私のお寺の規模としては提出義務がない収支決算書なども、前住職の時から作成し提出していましたので続けています。
住職や寺族は、宗教法人の給与所得者ですので、年2回の所得税の支払い。地方税や毎月の健康保険料・年金の給与からの徴収(天引き)、そして支払いなど、これまでしたことがなかった事務が加わりました。
2・3年続ければ慣れることではありますが、毎年緊張はかわりません。

他の宗教法人の代表役員もこれらのことを正確に行っているので、私だけが大変だと言っているのは、「恥ずべき」ことでありますが、一つの宗教法人をお預かりされていただくことはとてもエネルギーがいるようです。
それと同時に、真宗僧侶としての生涯に渡っての親鸞聖人のみ教え(教学)の学び。お寺としての社会貢献や支援についても考えていかなければならない時代だと感じています。