ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第22回】帰洛後は法悦の著述
およそ30年ぶりで、京都に帰られたのは文暦元年63歳の頃でした。何処にお住まいになられたかは、ほとんどわかっていませんが、吉水時代の庵室「岡崎」とか五条西洞院(現在の松原通光円寺付近)などに、聖人は侘住居を移しておられたようです。
帰洛後30年あまりの生活は「法悦の記録」をまとめるのに心血を注がれたといえるでしょう。聖覚法印の『唯信鈔(ゆいしんしょう)』を再度書写されたのをはじめとし、聖人76歳の時には、『浄土和讃(じょうどわさん)』、『浄土高僧和讃(じょうどこうそうわさん)』を著述されました。そして、既にできていた『教行証文類』の加筆や清書もありました。また、『浄土三部経(じょうどさんぶきょう)』や七高僧(しちこうそう)のお聖教を日夜読まれ、私たちが読みやすくわかりやすいようにと、当時の今様風の和文に整えられた和讃の文面をおつくりになられました。
なお、和讃は83歳から85歳にかけて『皇太子聖徳奉讃(こうたいししょうとくほうさん)』ともうひとつ太子和讃ができ、86歳のとき『正像末法和讃(しょうぞうまっぽうわさん)』ができました。
忘れてはならないのが、私たちが朝夕お勤めする『正信偈』、『文類偈』はそれぞれ『教行証文類』の「行巻」の終わりと、80歳の時に著された『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』の中にあります。この外「百余巻におよべり」と御書にありますように、沢山の著書や書写されたもの、法然上人の『選択集』を延書にされたものなどがあります。
聖人の御自筆稿本はいずれも80歳代のものですから、幾多の苦難を越えてこられた円熟の境地からの聖人のお念仏に支えられた呼びかけを、私の身の事実の上にいただいていかねばなりません。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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高田本山清掃奉仕

10月に入り過ごしやすい気候になりましたが、妙華寺の本山清掃の10日は夏日になり暑い日になりました。3年ぶりの本山清掃に、住職、坊守を含め15名でご奉仕させていただきました。

朝、9時に高田本山の内仏殿と呼ばれていますお対面所で宗務院の職員の皆様と共にお勤めをして、今回は、高田本山の裏側(北側)に位置する緑の苔に覆われた安楽庵の庭(三重県の史跡雲幽園)の清掃奉仕でした。休憩を挟んで落ち葉の掃き掃除をしました。

清掃奉仕の後、「賜晴館」(ししゅんかん)と呼ばれる明治天皇の行在所を拝見する時間をいただきました。「賜春館」は、高田派僧侶の得度式、住職拝命式の時、御法主殿から辞令をいただく場です。


その後、高田会館でお昼をいただき、お寺に帰りました。
今回の本山清掃のご奉仕に参加されました皆様、暑い中ありがとうございました。


これまでは、お世話方様、婦人会幹部の皆様だけにお願いしていましたが、ご高齢の問題もあり今回は、有志の方にお声がけしました。今後もお寺の行事にご参加いただける中でご奉仕をお願いすることもあると思いますが、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

住職の投稿

住職の投稿
今回、私(住職)が投稿した一文を掲載させていただきます。投稿先は、『教学院報』と言う高田本山の研究機関の会報です。もう20年前のもので、寺報に掲載した文書より照れくさいものですがおつきあい下さい。(注は今回記載)
『教学院報』1997年5月発行 第5号

「私の出合った一冊」
「対治」と「同治」の世界観
昨年の伝灯奉告法会(注 平成8年で今の前ご法主殿の伝灯奉告法会)の時、五木寛之氏に本山で「慈のこころ悲のこころ」という特別講演をしていただきました。氏は、私が中学生時代(今から20数年前 注・1997年の時)以前からの著名作家で、当時毎日新聞の日曜版に随筆が毎週掲載(後『ゴキブリの歌』として出版)されて気に入って読んでいました。氏の講演を聞き、私の中の若さのもどかしさ、心の揺れを落ち着かせるために、氏の多くの本を読んでいたことをなつかしく思い、講演の中で「ともに悲しむ」ということを「慰め」と言われたと思いますが、その時、頭をよぎったのが『「対治」と「同治」の世界観』です。『「対治」と「同治」の世界観』は、平成元年(1988)4月に日刊ゲンダイ掲載の随筆です。実際私が読んだのは、『流されてゆく日々(抄)』で平成7年(1995)です。『生きるヒント3』にも『「対治」と「同治」について』と掲載されています。
医師の駒澤勝氏が、医学という科学の根本の姿勢に、仏教という立場から光を当てて、疑問を提出されている「医学と私と親鸞」という文章を五木氏が読んだ時の随筆です。
 今の医学が、健康が幸福で病気が不幸、生が善で死が悪として、どちらからを否定するところから出発する思想を「対治」として示し、そこには救われない何かがあり、あらためてすべてを肯定する思想を「同治」として駒澤勝氏の考え方が変わってゆかれたことを、五木氏自身も考え方が変わってきた中で描かれた随筆です。
医学と仏教に関心が寄せられる今、他人事でなく自分の問題として、私も若い時には気付かない事が、時間がたたないと気付かない事があるという自分の変化の中で読みました。同時に駒澤勝氏の「医学と私と親鸞」(昭和58年『日本医事新報』に収載)という論文を是非読みたいと思っています。尚、この随筆は、「午後の自画像」(角川書店1992)にも、『「医と私と親鸞」駒澤勝』として掲載されました。

※まったく内容が薄く読みにくい文章で赤面しています。私の好きな作家の五木寛之氏の考え方を変えた、駒澤勝先生の「医学と私と親鸞」を読みたい。と言うことを言いたかったのと、親鸞聖人のみ教えが医師(科学者)にも伝わっている素晴らしさを確認したかったのだと思います。この文章を読んでいただいきました愛知県の東仙寺の稲垣舜岳先生から、駒澤勝氏の「医学と私と親鸞」をお送りいただきましたこと大変驚き感謝いたしました。何も分かっていない若い私に勉強しなさいと言うメッセージをいただいたと思いました。稲垣先生のご著書もその後、拝読させていただきました。その後駒澤勝先生は、高田本山の仏教文化講座にも出講されました。また先生のご著書も拝読させていただいています。寺報30号(平成23年12月発行)の読書雑感で、『目覚めれば弥陀の懐』法蔵館を紹介させていただきました。

『お寺で体験』の3回目は、10月22日(日)午前10時から

4月から開催しています『お寺で体験』の3回目は、10月22日(日)午前10時から11時30分の予定です。
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
会場は、山門左側にあります妙華寺会館です。
今回は、「久居の歴史」と「お寺の歴史」を中心に予定しています。
「久居の歴史」は、久居城下案内の会副代表の若林征男様に担当していただきます。
過ごしやすい秋の季節に私達の住んでいる久居について考えてみませんか。

式章(しきしょう)

式章(しきしょう)

先日、お仏壇廻りを整理されていたお同行様から「これ(式章)はどのように使うものですか」とお尋ねがありました。
式章は、僧侶の着用している輪袈裟(わげさ)の形で輪袈裟の下半分が紐になっています。本山や菩提寺から記念の品として式章をお渡しさせていただくことがございます。
本来、お同行の皆様が法会参詣する時に着用するもので礼服の一つとお聞かせいただきます。お寺での特別な行事(御遠忌法会や一光三尊仏御開扉法会)や本山や他のお寺に団体参詣など行く場合、式章を着用されているお姿を拝見しますが、最近は式章を着用して、葬儀、年忌法会をお勤めするお姿も少なくなりました。もしご家庭に式章がございましたら着用される機会をつくられたらいかがでしょうか?

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第21回】関東から京都へ 三河にて
関東を後にした親鸞聖人は、箱根路を通り、各地でお念仏の教えをひろめながら、文暦2年(1235年)三河(愛知県)に入られ矢作川河畔にある太子堂に逗留されました。
この流域に住む民びとは各地に太子堂をつくり、太子信仰の盛んな地域でもありました。聖人はそんな太子堂の一つで、岡崎の妙源寺に17日間も留まって説法されました。
柳堂に腰をおろされた親鸞聖人は、「弥陀の本願はあらゆる凡夫を救わんがためです」と阿弥陀如来の本願をじゅんじゅんと説かれました。近隣の人々は聖人の念仏教義の深さに敬服して、真宗に帰依していきました。
当時、この太子堂の前に柳の大木があったので、里人は「柳堂」と呼び親しんでいました。国宝として現在も参詣人の絶えることはありません。この三河一帯は、後に高田の顕智上人(三世)、専信上人等が精力的に念仏布教をされた所で、次第に念仏の輪が広がっていったのであります。
ここ三河は、関東と関西を結ぶ中間的存在で、高田派寺院の最古の道場として、親鸞聖人の歩まれた貴重な足跡が残っていることに注目したいものです。
三河を発たれた聖人は、やがて近江(滋賀県)に入られ木部に錦織寺を建立され京都に向かわれたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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10月の日曜学校

10月は「絵解きってなぁに」のテーマでお話をしました。絵解きをする人は、仏教絵画の託された物語を分かりやすく多くの方へ伝えることですが、江戸時代には町中で絵解きをする熊野比丘尼と言う女性の宗教家が活躍されていたようです。インドのお釈迦様が亡くなられてから仏舎利が祀られていたストゥーパ(仏塔)の周囲の囲いにお釈迦様の伝記や前世の物語(ジャータカ)が浮彫りされていて専門の僧侶がでお釈迦様の行実を伝えるたことから始まっているようです。

※妙華寺では、『お寺で体験』の講座で12月24日に親鸞聖人絵伝、2月25日に涅槃図の絵解きを予定しています。

また、10月26日高田本山専修寺の大講堂にて三河スーパー絵解き座の主催で絵解きがあるそうです。ご興味のある方はそちらもチェックしてみては。