国宝『西方指南鈔』の世界 親鸞聖人が残したかったもの 講師 清水谷正尊師

企画展「親鸞と高田本山」第2回講演会
国宝『西方指南鈔』の世界 親鸞聖人が残したかったもの 講師 清水谷正尊師

三重県総合博物館の「親鸞と高田本山」展の期間も残るところ2週間ほどになりました。
今回の講演は、国宝『西方指南鈔』を取り上げてのお話でした。
講師の清水谷正尊師は、青巖寺の住職で、高田派の鑑学であります。また、4月からは高田短期大学の学長としても活躍されています。
『西方指南抄』は、親鸞聖人84歳頃に、師匠である法然聖人の法語や行実を書き留めた6冊の書物です。親鸞聖人は法然聖人の教えに救われ、その教えを伝えようとされた弟子の1人ですが、対面されていた時間は、親鸞聖人29歳から35歳までのわずか6年ほどでした。
その後は、お二人は念仏停止の罪により違う場所に流されお会いすることはありませんでした。法然聖人が亡くなられ44年後の親鸞聖人84歳に、たぶんそれまでに集められていた法然聖人の法語や行実を『西方指南抄』としてまとめられたものと感じています。
講師は、その時の親鸞聖人の思いがどのようなものだったか、ご自身の体験をふまえて語られました。親鸞聖人が、師匠の法然聖人を慕う心を強く感じました。
また、そのことを弟子の、真仏・顕智上人へ伝える為に『西方指南鈔』を書かれたとも感じられました。
また、『西方指南鈔』は、親鸞聖人直筆の書物でありながら、これまであまり注目されていなかった書物であったようです。『西方指南抄』の内容が法然聖人の法語や行実でありますので、真宗側からは、法然聖人のこと。浄土宗側からは、法然聖人のことであるが浄土真宗の親鸞聖人が書かれたものと少し研究する立場からすると端っこに置かれていたようです。ここ10年前から、浄土宗側からも真宗側からも、注目をされだしたことで、新しい発見も期待したいと思います。
※中川個人の感想です。