お寺の宝物

お寺の宝物 佛涅槃図
佛涅槃図(ぶつねはんず) 一幅 真宗高田派 京都別院所蔵 【複製】
縦151.2cm 横128.7cm 兆殿司筆(室町時代)

妙華寺所蔵の「佛涅槃図」が江戸時代焼失し、その後、平成23年の高田本山の親鸞聖人750回御遠忌大法会の記念として、京都別院の「佛涅槃図」【複製】を求めました。

その後毎年2月の15日から3月15日まで西余間にかざっています。

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佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた二月十五日の涅槃会で本尊とされます。
八十歳になられた釈迦は、インド北西部のヴァイシャーリーで夏安居(なつあんご)を過ごし、北のバーヴァーに向い、鍛冶工のチュンダから食事の供養を受けましたが、食あたりを起こしました。痛みをこらえつつ、阿難(あなん)とクシナガラに赴きました。阿難に「私は疲れた。休みたい」と言われ二本の沙羅双樹の間に、頭を北に顔を西に向け、右脇腹を下にして横たわれました。釈尊の元にかけつけた弟子に「もろもろの事象は移ろい無常である。放逸に堕することなく、修行せよ」と諭され二月十五日の満月の日に静かに入滅されました。釈迦の最後の説法は『大般涅槃経』に、入滅とその後の話は、『大般涅槃経後分』に説かれています。
箱裏に「涅槃像 兆殿司筆 一幅」とあり、室町時代の明兆(一三五二~一四三一)筆との所伝であるが、明晰な色彩から実際の制作年代は十六世紀後半、室町時代後半から桃山時代にかけてと考えられる。
精微な作であるうえ、群青など良質な顔料を贅沢に使用していることから、相当の名手が手がけたことがわかる。周辺は、描表具がめぐらされているが、群青地に箔を押し地色と同じ群青で模様を施している。これは唐物裂を模したと思われる。
中央の釈迦像を見ると、袈裟には截金(きりがね)が施され、衣の縁(ふち)などは胡粉(こふん)で模様を盛り上げた後に金泥(きんでい)を重ねて豪華な雰囲気を作り出している。他の人物には、目元に朱を入れて泣き腫らした様を表し、衣裳には豊かな文様が丁寧に手描きされている。この涅槃図は、鎌倉時代後期に日本に伝来した、中国の宋・元時代の涅槃図をモデルとしてる。日本で多くのヴァリエーションがあり、すべての人物の特定は難しい。中央の釈迦の手前で錫杖を持つ地蔵菩薩、その前の転倒する若い僧は十大弟子の阿難、それに水を注いで介抱するのが阿那律、阿那律の横の俗人は耆婆大臣、その手前は、迦葉童子、その下で向かい合うのは、難陀龍王と無垢称王(維摩居士)、その隣の金剛力士とその上部には、龍をまとった優婆難陀龍王、和須龍王、その上に蛇をまとった摩睺羅伽、金趐鳥を頂いた迦楼羅、三面六臂の阿修羅など八部衆が続く、釈迦の足に触れるのは、昆舎離城老女である。阿修羅の左手前の菩薩は、冠に水瓶があるので勢至菩薩である。中央一番奥の神将は毘沙門天(もしくは韋駄天)、その左正面向き菩薩は、観世音菩薩 である。床台の左隅の白い身体の佛弟子は羅睺羅である。その右隣の冠に五輪塔をいただくのが、弥勒菩薩である。釈迦枕頭の二菩薩は、文殊と普賢と思われる。その横の沙羅双樹に挟まれている三人目の人物は帝釈天である。その横の象頭冠をかぶるのは八部衆の緊那羅で、その下部で飯器を捧げるのが釈迦の食あたりの原因となった純陀である。上方から飛来するのは、忉利天から釈迦の臨終に会うため飛来する摩耶夫人で、先導するのは阿那律である。阿那律が再登場するのは、『摩訶摩那経』に基づき、異なる時間を一つの図に表した。
最後は、動物については、人物の巧妙さに比べやや稚排で愛すべき描写となる。すべて判別できないが、左から大体の順序で列記すると、イノシシ、豹、狸、狐、鼬(いたち)、狢(むじな)、猫、青羊、犀(背中に甲を持つ霊獣として表現)、孔雀、金翅鳥(きんしちょう)、迦陵頻伽(かりょうひんか)、雉(雌雄)、鸚鵡(おうむ)、鳥、鵲(かささぎ)、磯鵯(いそひよどり)、雀、百舌(もず)、鼠、猿、兎、象、犬、鳥、燕(つばめ)、鷹、虎、龍、蜻蛉(せいれい)、蜥螐(せきお)、百足、蝶、蚯蚓(みみず)、蜂、蝸牛、蟹、蛇、獅子、水牛、鳩、蛙(雌雄)、亀、馬、駱駝(らくだ)、牛、鹿、(雌雄)、狼、白鷺、朱鷺(とき)、真鶴、鵜(てい)、鵞鳥(がちょう)、鳥、雁、鴨(雌雄)、鴉(からす)、雄鶏(おすにわとり)、鳥、鴛鴦(おしどり)となる。(京都国立博物館大原嘉豊氏の解説を元に作成)

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