東日本大震災から11年

東日本大震災から11年
11年前のこの日のことは、今でも、私(住職)は忘れていないが、何を忘れていないか。当日のTVの映像や新聞記事、その後に続く被災地の状況。これは記録(現実)である。
現実に起こったことを忘れないことも大切ですが、それによって私たちの心や身体の変化をどのように見ていくのか考えさせられています。
その時、私(住職)にできたことは、被災地で亡くなられた方や被災者の方への「祈り」だけだった。真宗の教えの「祈る」は、現世での利益を求めて念仏することを否定している。

しかし、本願に出遇ったことで、世の中が安穏であってほしいと願うことで「祈り」の語が使われている。

私(住職)の住む三重県も南海トラフ地震が起これば大きな被害が想定されています。
その時、何ができるかわかりませんが、できる準備はしておきたいと考えています。

東日本大震災のこと以外にも、心や身体に影響がおよぶ私(住職)の目の前にある悲しみや苦しみに向き合う事を決して忘れてはならないと思っています。

 

【参考】
「仏号むねと修すれども 現世をいのる行者をば これも雑修となづけてぞ 千中一無ときらはるる」【浄土高僧和讃 善導禅師 6首】

「それにつけても念仏を深く頼みて、世の祈りに心入れて申し合わせ給うべしとぞおぼえ候」【御消息 永福本 6月1日の御文 性信宛】
「念仏謗(そし)らん人々、この世、のちの世までのことを、祈り合わせ給うべく候う」
【御消息 永福本 下され給いてのち 性信宛】