お寺の掲示板
何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか
「何のために」 作詞 北山 修
世の中には、自分で気がつかない葛藤に縛られて、強迫的な窮屈な生き方をしている人は少なくないようです。そのために自分が本来もっているはずの可能性を発揮できないでいます。そこから自分でもっと自由に、自分らしく生きてゆけるようになる地点まで連れてゆくのが精神分析です。たとえ厳しくても、自分のおかれている現実を、そのまま現実として直視することができるようになると、その人なりに何か、自分にできる現実に即した適応的な豊かな生き方を模索することになるものでしょう。といっても、結局、人は死の前には無力です。これは動かしがたい現実です。しかし生きているかぎり、今ここに生きているからこそできることや、味わえる楽しみや喜びを味わうしかありません。そこで何を、どうするといいのか、そこに「君たちはいかに生きるか」という今日的な課題も出てきます。精神分析は自分なりの幸福論を探して、自分なりの生き方を求めてゆくための心の自由を援助するものです。
『良い加減に生きる』歌いながら考える深層心理 きたやまおさむ・前田重治(共著)
自分の中で「何のために」と問うことは大切な決断をするときに起きてくる。
自分の進路で悩んでいる時、何かを天秤にかける時、大義名分がほしくなる。
「生きる」ことだけでなく「生死」は「何のため」と問うていくと どうだろう。