飛沫感染防止の仕切り板

新しい試み
7月に試作品で飛沫感染防止の仕切り板を予定通り本堂に配置しました。
これまでと同様52畳の大間(だいま)に36席の椅子を用意しました。前回もご紹介しましたが、仕切り板のサイズは、本堂の畳は、170cm×90cm 椅子は、幅55cm・前後45cmで、60cmの間隔の往来(焼香に行き来できる幅)を想定して作成しました。18の仕切り板を設置した写真を見ていただくと異様な感じもいたします。しかし、お集まりいただく皆様に安心・安全な「集い場」を住職が考えると、このようになりました。

実際、前が見づらいし、腰掛けるのにも気を遣うような窮屈な「集い場」です。これからも、皆様のご意見を汲み取りながら工夫をしていき、お集まりいただく皆様に「安心」・「安全」をお届けできるように考えて行きます。それは、何よりも一堂が一緒に集まりお勤めをする。ご法話を聴聞する「集い場」が大切であると思っいるからです。
これまでも、本堂では、手指のアルコール消毒や換気には十分配慮をしていますし、参詣されます皆様のご協力で、風邪の症状のある方や渡航履歴のある方との接触のある方には参加を見合わせていただくこともお願いします。もちろん不安がある方は無理にご参加をよびかけません。

今、私(住職)の中では「託す」と言う言葉に考えが向いています。お寺は、誰から何を託されているのだろう。
1つの思いとして、お寺は、ほとけ様から安心できる「集う場」を託されているのだと思うと、お寺を預かる住職や寺族は、「集う場」に集う人々に「安心」を提供することになるのかと考えています。その「安心」とは、ほとけ様の「願い」そのものであるのですが、「集う場」に集まる皆様の「安心」・「安全」にも心を砕いていかなければならないと思っています。
ほとけ様の「願い」を託されたお寺は、「集う」人々に「安心」を約束する「場」
また、お寺の行事を考えるに当たってさまざまなことを思います。お同行の皆さんが希望する行事であるのか? 興味を持っていただけるのか? 試行錯誤の連続ですが、お寺の行事で一番伝えたいことは、今の私がここに「いのち」をいただき生きている中で、本当の私の「いのち」に出遇(あ)っているのかを如来の「はたらき」を通してお聞かせいただくことと思っています。(悲しいことですが出遇う機会をいただきながら、出遇うことができず一生を終えていく場合もあります)
お寺の行事は、住職(僧侶)がお勤めすることだけではありません。お寺の行事の仏縁に遇(あ)い(この「遇(あ)う」と言う漢字も日常生活ではあまり使いません)私が生きている中での不安が転じて、このままの私で良かったとことをうなずく時間です。
お寺の行事は歳を取ってからお聞かせいただいたら良いと思いがちですが、今お聞かせいただくことが一番と思います。
なかなか、お寺の行事にご参加する時間が取れずにいらっしゃる方も、時間が合いましたら是非お寺に足をお運びください。