祖師寿の表彰状

先日の降誕会(5月21日)の祖師寿のお同行様(男性)へ表彰状と記念品が届きました。
出席していただきますと式典で表彰していただくことになりますが、ご都合で出席できない方へは、後ほど高田本山より菩提寺へお送り頂きます。
改めて、「祖師寿おめでとうございます。これからも親鸞聖人のお念仏の「み教え」を共にお喜びできることが有難いことです」
女性のお同行様の祖師寿の表彰は、6月5日(日)の高田派婦人連合大会で行われます。祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。

 

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親友婦人会総会

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今年は少し汗ばむような一日となりました。
13時30分より本堂で婦人会会員でこの1年間でご往生されました、野崎あい子様、中田とめ様、西村すゞ代様の追弔会でお勤めをしました。
その後、妙華寺会館に移動して、総会が行われました。出席された方々の自己紹介をするのも久しぶりでより親しみがわく時間となりました。その後、東京の浄土真宗東本願寺派の緑泉寺のご住職でもあります青江覚峰師にお越し頂き
「食べると向きあう」と言う講題でお話し頂きました。
ご講師の紹介ですが、青江覚峰師は、1977年東京生まれ。浄土真宗東本願寺派緑泉寺住職。カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。日本初・お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」創設メンバーで、現在は、東京で「向源」と言う多くの寺社をまとめて活動をされている会の副代表としてもご活躍されています。ご著書に『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『ほとけごはん』(中公新書ラクレ)などがあります。
今回は、「暗闇ごはん」の一端を体験させていただくことになり、遠方から手作りの品をお持ち頂きました。(重たい荷物をお運びいただき恐縮しています)参加されました皆様も大変驚かれて地方では滅多に体験できない貴重な体験をさせていただいた次第です。視覚による先入観(とらわれ)や、色鮮やかな夏野菜から『阿弥陀経』の世界など身近な食を通してのお話し(ご法話)もわかりやすく、楽しいひとときでありました。
 お話しを聴聞するだけでなく、自分自身の味覚や想像力を使いながらの時間は参加された皆様に大変好評でした。
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先の早い話ですが平成29年の親友婦人会総会5月18日(木)は、親友婦人会の総会の後、井上広法さんにご講演をしていただきます。

ご講師の井上広法師は、昨年の4月からTV「ぶっちゃけ寺」にレギュラー出演中でご活躍されています。私は井上師の卒業時の論文の臨床心理学を専攻しグリーフケアの観点から『遺族における法事の心理的役割の検討』を拝読させていただき、ご自坊のお同行の皆様にアンケート調査を実施し、ご遺族が法事を通して心の安心をどのように感じていくかを調査されましたことに感銘を受けました。また科学的に心の仕組みを学んだ僧侶として活動し、東日本大震災を契機に「お坊さんが答えるQ&Aサービスhasunoha」を立ち上げ、今では、東海TVの火曜日の「バイキング」のコーナーで毎週のように紹介されています。
心理学、特にポジティブ心理学の知見を参考に「お坊さんのハピネストレーニング」を毎月開催しているそうです。
ご多用の方にご無理を申し上げましたが、快くお引き受けいただき感謝しています。今年の青江様のご講演も楽しみでありましたが、来年の井上様のご講演も楽しみです。
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前住職7回忌

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達書は、お寺の(前)住職や衆徒が往生された時に本山から贈られます。葬儀の前に、寺の跡取りや寺族、檀信徒に向かって、本山からご焼香にこられたご使僧が読み上げます。
そこには、得度からのことが書かれていて改めてこれまでのご苦労を知ることになります。
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 前住職の7回忌を執り行いました。ご往生して6年目ですが、この間、私は何をしていたのか振り返ってみると心に余裕が無く、時間に追われてその場しのぎの事ばかりで悔いることばかりです。前住職がいた時は、前住職に甘えて好きなことをしていた時間は、(心にまだ余裕があったようで)とても大切な時間であったと改めて感じています。還暦も超えると、残された時間がとても気になりますが、できることを続けていくことしかないことのようです。
落雁は、寺紋の浮線桐です。報恩講では紅白で荘厳しますが、黄白で荘厳しました。
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5月の日曜学校

御書(ごしょ)
高田派では歴代法主が発せられる書簡体の法語を「御書」と称します。東西本願寺での「御文(おふみ)」「御文書(ごぶんしよ)」に相当します。高田派で御書を初めて積極的に取り入れられたのは、10世真慧上人ですが、同時代の本願寺8世蓮如上人が「御文」による伝道に成果を挙げられておられたことに倣われたものでしょう。
親鸞聖人が関東の門弟と、浄土のみ教えについてご消息を通したやりとりしていたことがあってのことと思います。
ただし「御書」という呼称は真慧上人によるものではなく、定着したのは、14世堯秀上人が、明暦3年(1657)に『御書4巻』を初めて開版されて以来のことと考えられます。
真慧上人は多くの御書を残されましたが、中でも上人自身が選集された、「中興上人御書」1巻は門末に最も珍重され、上人の由緒寺院である、浄光寺、慈光寺、明覚寺、厚源寺に伝えられています。
特徴として、本願にまかせ、大悲を仰いで称名せよとの趣旨を明快に説いておられ、同時に「本寺崇敬(ほんじそうきょう)」を強くすすめられています。
 高田本山第10世 真慧上人永享6年(1434)~永正9年(1512)は、26歳の頃、関東から加賀、越前、近江を巡化され、長禄3年(1459)まで、滋賀県坂本の妙林院に逗留し、寛政元年(1460)に伊勢国(一身田)に入られたようである。寛政6年(1465)の比叡山僧徒の大谷本願寺破却事件の時に、専修寺と本願寺の違いを比叡山に陳情したと伝えられている。その時に今の如来堂の本尊である阿弥陀如来像を贈られ高田では、「証拠の如来」と呼んでいます。
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青楓

総代会

総代会
4月29日(祝・金)春千部会の後に改修しました妙華寺会館で総代会を開催しました。2月8日から4月7日まで庫裡と妙華寺会館を改修して改修が終わりましたので総代様に披露しました。
改修は、耐震補強と板の間にすることで、座ることから腰掛けることで身体への負担を軽減することが主な目的でした。
これまでどおり、妙華寺会館の利用については無料で、葬儀・法要・会議・待合にご利用いただけます。
板の間にしてイス式での利用が中心となります。(座ることの負担を減らす)
空調設備の導入にて、季節を問わず利用しやすくなります。
 また、今後宗教法人の制度の見直しなどについての相談は、(一社)お寺の未来様の「お寺の安心相談顧問サービス」を利用することにすることにご理解をいただきました。
また、お寺のコミュニティの担い手のお世話方様のあり方につきまして、地域のコミュニティの問題と共に今後どのような形になるのかご意見をいただきました。
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春千部会

春千部会は、前日までの雨があがり晴れ間になりましたが少し風が強く肌寒い日になりました。大型連休の初日でありますが多くの皆様にお集まりいただきありがとうございました。出勤していだくご法中様の衣体は、黒衣、五条です。若い頃にどうしてか前住職に尋ねましたら、「真宗では報恩講が一番大切な行事で、色衣、五条で出勤をお願いしているので、他の行事は黒衣、五条で出勤をお願いしている」と教えられました。布教使様は、義明寺の高藤英光師です。熊本地震の災害からも、親鸞聖人のみ教えを気づかさせていただくことがあることをお話しされました。

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布教大会

京都若手僧侶法話勉強会様の主催の布教大会が行われました。
およそ50名の方々がご聴聞に駆けつけてくださいました。
最初にお勤めがあり、出勤僧侶は、西本願寺の方が多く普段唱和されない「文類偈」の節を心配されていましたが、堂内の大勢の大きな声で一緒に合わせて唱和されていました。
ご法話される若手の4名は、少し緊張の趣で始まりましたが、落ち着いた口調で自分の経験を交え、阿弥陀様のはたらきを讃嘆され、最後に会の代表の中西正導師(本願寺派布教使)がまとめられました。その後、茶話会では、お茶とお菓子をいただきながら若い僧侶が、ご聴聞された方お一人、お一人のお話しをお聞きしたり、お尋ねに丁寧にお答えしていました。平素のお勤めの後に私(住職)とお同行の皆様との話より活発な会話で私に課題を与えていただいた感じです。
ご聴聞をいただきました皆様には、お同行様をはじめ、地域の方々、河芸の満願寺様の坊守様と婦人会の皆様や、近隣のご住職様にもお越しいただき大変感謝申し上げます。
また、京都若手僧侶法話勉強会様には、遠方より三重県津市久居の妙華寺までお越し頂き、布教大会として4名のご法話をご聴聞できることを楽しみにしていました。
現代は、仏教のこと、親鸞聖人のことなど、書籍やメディアで知ることもできますが、ご法話を聴聞することは、布教使様とご聴聞する私たちが一体となり、仏徳讃嘆を作り上げているように感じます。布教使を目指している若い僧侶と共にお育ていただいた時間となりました。

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今年のメリシャカ

7日は、昨年と同じように今年も雨の中の開催です。毎年お花をお供えいたただく方々に本堂の中で甘茶を召し上がっていただきました。
8日は、晴れ間も出て隣寺の誕生仏へも甘茶をかけさせていただきました。同じ誕生仏でも顔立ちや姿が違うのを感じるの楽しみの一つです。

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4月の日曜学校

栃木県の本寺(専修寺)について
親鸞聖人が下野国芳賀郡大内荘高田へ来られたのは、聖人53歳の時と言われています。ここで虚空菩薩の化身明星天子のお導きを受け、またこの地方の豪族や庶民の懇望を受けここ一宇を建立され、信濃国長野の善光寺から一光三尊佛をお迎えして本尊とされました。聖人のお留守は、当地豪族出身の真佛上人が預かり、専修念仏の根本道場となり、多くの門弟が生まれ、聖人帰洛後、「高田門徒」と呼ばれ、聖人の遺弟中最大の教団となりました。真佛上人の後、顕智上人が継承し、聖人の入滅にも立ち会われ、御遺骨を抱いて高田に帰り、御廟を建てられました。その後「専修念仏の旗手」との意味合いから寺号を「専修寺(せんじゅじ)」と称することになりました。
親鸞聖人の御廟は、高さ145cmほどの石塔で、「笠塔婆(かさとうば)」と言われる形式です。それは高田本の「親鸞聖人伝絵」に描かれた聖人の墓碑と同一形式であることが意義深い。聖人の御歯骨が納められています。

15世紀半ば、第10世真慧上人は、伊勢の一身田に別院の無量寿院を建立し、東海北陸地方へ教線を拡大せられた。しかし、戦国時代、高田の専修寺は兵火のため炎上し、廃墟になったので、教団の本山としての機能を一身田に移し、無量寿院も専修寺と呼ばれるようになりました。
高田の専修寺は、江戸時代になりようやく復興し、高田教団では、本寺(ほんじ)と呼び尊んでいます。国からは、「親鸞聖人の宗教遺跡」として唯一の史跡指定を受けています。

  現在の本寺には、涅槃堂に木造の釈迦涅槃像(元禄15年(1702)制作)が安置されているのが目を引きました。
また、三谷の草庵も2年前に改修されていました。
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本寺御復座法会

一光三尊佛お送り本寺御復座法会参拝の旅
平成28年3月31日(木)~4月2日(土)に参加させていただきました。
本寺には何度か行ったことがありますが、一光三尊仏の御復座法会に参詣するのは初めてでした。約150名の参加で、今回は天気にも恵まれ、本寺の桜も満開の中での法会でした。
10年ぶりの本寺ですが、本当に心が落ち着くというか一身田の本山とは違う空気に覆われているような感じです。私には、親鸞聖人の御廟が感じさせているように思います。
聖人の御歯骨が納められている御廟の間近で手を合わすことができるのは本寺ならではの魅力です。4月1日の午後の法会で、前御法主様の御親修・御親教にあうこともうれしい時間でした。法会の期間中、涅槃堂の前では、誕生仏に甘茶をかける花祭りもあり、宝物の展観もあり有意義な1日でした。次に三尊様にお遇いできるのは、14年後の平成42年(2030年)。できることなら、参詣できればと思い帰路につきました。

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