弔辞と思い出

弔辞と思い出
葬儀式での弔辞は、弔辞を読まれる方との関係でありますが、亡くなられた方のことを知る機会でもありました。

最近は、家族だけや近い親戚を含めての葬儀式がほとんどなので、弔辞を聞くことも少なくなっています。
しかし、亡くなられた方との思い出は、葬祭に参加される方々にはそれぞれありますので、その思いを表現できると場(時間)を考えたいのですが、葬儀式の時間は決まっていますので難しいです。
葬儀の前夜に、通夜のお勤めがあります。「夜を通す」とありますので、本来は、一晩中、亡くなられた方の近くで過ごしたのでしょう。それぞれの方の想い出を語り合った時間もあったと思います。私だけの思い出も大切にしたいですが、多くの方の思い出を聞くことで亡くなられた方の思い出がより豊かになると感じています。

しつけ糸

しつけ糸
衣や着物を新調したり洗濯から帰ってくると「しつけ糸」で衣や着物を整えています。
衣や着物を着用するには、「しつけ糸」を外すのですが、衣更えの時は、1度に多くの衣などを準備しますので、外し忘れるとやはりみっともないです。

「しつけ糸」は、「裁縫などで、縫目が狂わないように、仮に縫目をつけておくこと。またその糸」とあります。

仮であって、使用する時には無くなっているものですが、そのお陰で、使っているものが整うのですから「しつけ糸」にも目を向けることが大切であると思います。

国宝『西方指南鈔』の世界 親鸞聖人が残したかったもの 講師 清水谷正尊師

企画展「親鸞と高田本山」第2回講演会
国宝『西方指南鈔』の世界 親鸞聖人が残したかったもの 講師 清水谷正尊師

三重県総合博物館の「親鸞と高田本山」展の期間も残るところ2週間ほどになりました。
今回の講演は、国宝『西方指南鈔』を取り上げてのお話でした。
講師の清水谷正尊師は、青巖寺の住職で、高田派の鑑学であります。また、4月からは高田短期大学の学長としても活躍されています。
『西方指南抄』は、親鸞聖人84歳頃に、師匠である法然聖人の法語や行実を書き留めた6冊の書物です。親鸞聖人は法然聖人の教えに救われ、その教えを伝えようとされた弟子の1人ですが、対面されていた時間は、親鸞聖人29歳から35歳までのわずか6年ほどでした。
その後は、お二人は念仏停止の罪により違う場所に流されお会いすることはありませんでした。法然聖人が亡くなられ44年後の親鸞聖人84歳に、たぶんそれまでに集められていた法然聖人の法語や行実を『西方指南抄』としてまとめられたものと感じています。
講師は、その時の親鸞聖人の思いがどのようなものだったか、ご自身の体験をふまえて語られました。親鸞聖人が、師匠の法然聖人を慕う心を強く感じました。
また、そのことを弟子の、真仏・顕智上人へ伝える為に『西方指南鈔』を書かれたとも感じられました。
また、『西方指南鈔』は、親鸞聖人直筆の書物でありながら、これまであまり注目されていなかった書物であったようです。『西方指南抄』の内容が法然聖人の法語や行実でありますので、真宗側からは、法然聖人のこと。浄土宗側からは、法然聖人のことであるが浄土真宗の親鸞聖人が書かれたものと少し研究する立場からすると端っこに置かれていたようです。ここ10年前から、浄土宗側からも真宗側からも、注目をされだしたことで、新しい発見も期待したいと思います。
※中川個人の感想です。

HPからのお問い合わせ

 

いつもお寺のHPをご覧いただきありがとうございます。

先日、HPから「墓じまい」についてお問い合わせがございました。

妙華寺では、「墓じまい」について、お墓の継承者様からのご相談でお話をお聞かせいただいてております。

お墓の継承者様からご連絡いただくようお願いします。

真宗高田派 法苑院 妙華寺 中川 和則

 

四季の花(6月)

四季の花
今年は、5月の末に梅雨に入りました。雨に映える花は紫陽花でしょうか。境内にもいろんな種類の紫陽花が咲いています。他にもホタルブクロやトラノオも咲き出しています。

「これからの供養のかたち」

「これからの供養のかたち」著者 井出悦郎 祥伝社新書

著者は、(一社)お寺の未来の代表理事で、私(住職)も、未来の住職塾を受講した時の講師の1人であり、お寺のポータルサイト「まいてら」やお寺のHPでもお世話になっています。
僧侶として「供養」を考えると、対象が広範囲で、考えも宗派によってさまざまであり、また、「供養」を執行する側からの視点で考えてしまいがちです。今回、僧侶としてではなく生活者として、考える機会になりました。

著者は自身の子どもさんを亡くされたことが、著書を書き始める機縁になったと述べられています。私は、古希が近づく年齢で、一緒に生活をしていた、祖父母・父母を亡くし、弔い、供養を続けている生活者の1人でもあります。そして、嫁いでいた妹が私より先に亡くなるとは思ってもみませんでした。妹は、最後まで、自分の病気のことは、妹家族以外に知らせませんでした。後ほど妹の家族から聞いた話ですが、当時、私の母(妹の母)が、高齢で、病後のこともあり、母に子ども(妹)の病気を知らせたくなかった(心配をかけない)気遣いからのようでした。誰もがそうだと思いますが、自分に近い関係者が亡くなれば、いろんな感情が湧き出て、いつものようにな平常心を保ち続けることは難しく、困惑する感情の中で、すぐさま、亡くなられた方の弔いについて考え、行動(事務手続・処理)をしなければならなりません。「死」について少し関わっている僧侶の私だってうろたえながら、物事を決めていたのだから、日常で「死」について考える機会が少ない生活者であれば、誰かにすがる(任せる)ことしか頭に浮かばないと思われます。
その時出合う関係者(葬儀社や宗教者)の印象によって、「弔い」や「供養」について、どのように感じたり、考えたりしていくかさまざまだと思います。これまでの時代でもそうでしたが、今の時代では、その時の印象が良くないことが情報が、瞬時に、報じられることが多いので、宗教者や葬祭関係者は、「供養」に関してこれまでの価値観でしか語れない供養のかたちでは、生活者の考える多様な「供養」についての考え方に寄り添うことは難しいとしか感じられません。
著書にも書いてありますが、「供養」の意味は多様で、一言で定義することが難しい言葉ですが、日本古来からの考え方から見ると、先祖供養として捉えるのがわかりやすいと思います。
ただ、現在は、これまで続いていた、家制度による先祖の考え方も、死の捉え方もこれまでとは大きく変容しているように思えるので、私(住職)は「私にとって大切な方のいのち」をどのように見ていくかを考える時間になりました。

著書の言葉を引用すれば、「あなたにとってご先祖はどのような存在で、今後もどのようにつながっていきたいですか? あなたは家族など親しい人をどのように送り、供養したいですか? あなたは死後にどのように送られ、供養されたいですか?そして、どのような先祖として記憶されていきたいですか?」
これらについて、生活者と僧侶が丁寧に一緒に考えていくことが、「これからの供養のかたち」になっていくと思います。

著者が、生活者と宗教者の視点をとても丁寧に掘り下げていらっしゃるのは、10年ほど前から寺院のサポートをされた中で培われた宗教者との信頼関係であったり、自身が生活者として宗教者に対して厳しくも、温かい視点からのたまもののように感じています。
生活者は勿論のこと、宗教者も著書から学ぶべきことはたくさんあると思います。