27組の報恩講

【27組の報恩講】

今年も10月27日から27組の報恩講が戸木の満誓寺様から始まりました。毎年、晴天で暖かな1日です。(これまでに一度大雨の年がありました)
今年も報恩講に出仕させていただくことができる身であることが有難いです。
例年通りのお勤めでありますが、今年最初ですので役割をちゃんとできるかいつも緊張します。また、高田本山の宗義会も終わり、組長(そちょう)会議も終わりっていますので、組長様から本山の今後の方針などを聞くことができ、貴重な情報交換の場にもなります。

11月09日は、新家(にのみ)の光蓮寺様の報恩講で今年から13時30分からの開始です。今日も快晴です。平素お寺に住職様がいらっしゃらないのですが、お同行の皆様が、境内や本堂をしっかりきれいにされています。少し長めのお勤めになり、足がしびれてきたのは、体重が増えたからか。ダイジェットをしなくては、また自坊の式文の稽古も始めないといけない時期です。

11月17日は、戸木の西向寺様の報恩講で、いつも境内が整然で見習わないといけないのですが中々難しいです。控室には親鸞聖人の掛軸が、僧侶に向かって迫ってきます。布教使様の地元の鯛焼きは、この地域で有名で中々口に入りませんが、差し入れで法中にもおすそ分けいただきました。

11月23日は、妙華寺から一番近い組内の小戸木の西林寺様の報恩講でしたが、急な法務により出仕できなく大変申し訳なく思っています。

11月24日は、蓮性寺様は妙華寺から一番離れた組内のお寺で報恩講に出仕することができました。
控室の床の間には高田本山の21世堯煕上人の名号が掛かっていました。また脇棚には立派な宮殿に入った鏡(硯)に親鸞聖人の像が記されているものを初めて拝見しました。伝来や由来を前住職からもお聞きしていないようで詳しいことは分かっていないそうです。

12月01日は、妙華寺の報恩講でした。
今年も、おてらおやつクラブのご縁でお非時のご奉仕を津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様でしていただき3年目になります。
ごども食堂も兼ねていましたのでいつもよりお子さんの笑顔も拝見できました。昨年のカレーが好評で今年もお出しできました。子どもさんからお年寄りにも気に入っていただいたようです。次の日、会長様から反省点もお聞きしてました。来年に活かしていければと思います。また、こども食堂の開催にご賛同いただきました方からご寄付もいただき津市母子父子寡婦福祉会久居支部様へお渡しいたしました。次の日にお礼にいきましたおり、お寺の活動としてすばらしいことでこれからも続けてくださいと激励をいただきました。重ねてお礼申し上げます。

妙華寺の報恩講では、ずいぶん以前に組内で初夜のお勤めの稽古していました。それからお勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の三段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。
布教使様は、衆徒の縁で西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授の葛野洋明(かどのようみよう)師の2年ぶりにのご法話でした。西本願寺のご本からですが「浄土真宗の救いのよろこび」を一緒に声に出して拝読して、「信心定まるとき 往生また定まるなり」の親鸞聖人のお言葉から、阿弥陀様の願いに救われている私が今ここにいることを有難く感じています。聴聞いただきましたお同行のお一人から「二席目に入ってとても引き込まれてお聞かせいただきました」と感想をいただきました。
私(住職)も葛野(かどの)先生のお話がすーと心に入っていくことにうれしさと有りがたさをいつも感じお聞かせいただいています。

葛野(かどの)先生のご法話が二席でしたので途中の休憩時間に、余間に掛かっています親鸞聖人絵伝を間近にみていただき簡単な説明をさせていただきしました。こちらも「中々、近くで絵伝を見ることができなかったですが良かったです」とお聞かせいただき、今後、聖人の絵伝をもっと親しんでいただけることができればと思っています。

12月08日は、27組最後の報恩講は、野村の浄徳寺様でした。お寺には野村地区の厄落としの観音様のお堂があり、3月の初午の日は賑やかだそうです。報恩講も、住職・副住職・衆徒(副住職の兄弟と息子)が出仕され賑々しくお勤めされました。いつもの控室に額装がありましたが、高田派22代堯猷上人の梵語でその場では分からなかったのですが、「イーティバフラム ジャガト」と書かれ、「一切世間 衆多病」と漢訳され「迷いの世界に生きる我々のこと」の事のようです。毎年報恩講に出仕しながら気づいていないことばかりです。

親鸞聖人絵伝③

親鸞聖人絵伝 1幅
高田派の親鸞聖人650回遠忌(明治45年4月)の記念の絵伝
場面は、10段あり、下の段(向かって)右側から(向かって)左側、
次に上の段(向かって)右側から(向かって)左側と進み20の場面から なる。絵師の署名が一番下の(向かって)右側の最初に記されているが、 絵師の詳細は分からない。

妙華寺に伝わる物は、井戸山地区の報恩講で宿の床の間に掛けられた掛軸 で、報恩講の宿勤めを廃止した時に、井戸山地区からお寺に寄贈された。

※古くから続くお同行様もお持ちされる方がいらっしゃいます。

親鸞聖人絵伝②

親鸞聖人絵伝 1幅
高田派の4幅の親鸞聖人絵伝の構図を1幅にまとめた掛軸
下(向かって)右側に一幅の図 上(向かって)右側に二幅の図
下(向かって)左側に三幅の図 上(向かって)左側に四幅の図
4幅目上段に法主の署名欄がありますが、この掛軸には署名がありません。
4幅の絵伝の4幅下段にある絵師の署名欄自体が無いが構図は4幅の
絵伝と同じですので絵師は4幅の絵伝と同じ高田派の絵師と思われます。

高田本山の境内にある御飯講(本山のお仏飯を毎日用意する講)の仏間に本山の報恩講の間、この掛け軸と同じ物で21代堯熙上人の署名がある絵伝が掲げられています。

親鸞聖人絵伝①

親鸞聖人絵伝 4幅
「親鸞伝絵」から図画の部分を抜き出し掛軸にしたものが「絵伝」で、場面は下から上へ順序よく配置され、各場面は「やすり霞」といわれる雲形で仕切っています。一般に4幅で一組です。

妙華寺の「絵伝」は、高田派第18世圓遵上人(1786年~1811年)の署名と花押が第4幅上段にあり、第4幅下段に絵師(御絵所)は藤原佐助とありますので、高田派の親鸞聖人絵伝と見られます。

 

親鸞聖人(1173-1263)真宗の開祖
藤原一族の日野有範の長男。「伝絵」によれば9歳の時に慈鎮和尚について出家、範宴(はんえん)と名乗る。約20年間比叡山で修学、常行三昧堂にて堂僧をつとめていたとみられる。29歳の時に比叡山を下りて、六角堂に参籠し、聖徳太子の夢告により法然を訪ね阿弥陀仏の本願に帰し、門弟になる。1205年『選択集』を附属され書写し、法然聖人の真影を図画。夢告により綽空から善信にあらためる。法然聖人のもとで学ぶ間に惠信尼と結婚したとみられる。承元の法難(1207)によって法然聖人らと処罰され流罪になり越後の国府に赴く。自らを非僧非俗とし愚禿(ぐとく)と称した。赦免されると妻子と関東へ移住し、茨城県の笠間市稲田を中心に伝道生活を送る。『教行証文類』を著し推敲を重ねる。62歳頃京都へ帰り、御消息によって関東の門弟を教化、交流する。『三帖和讃』をはじめ多くの著述を残した。
関東で法義理解の混乱が生じ、息男慈信房善鸞を遣わしたがかえって異義が生じ、建長8年(1256)に善鸞を義絶した。弘長2年11月28日(新暦で1月16日)弟尋有の坊舎で90年の生涯を終えた。

報恩講お勤めさせていただきました

報恩講お勤めさせていただきました
少し前から朝晩寒くなり、お昼も暖房が必要になってきましたが、法中様の控室では日差しが温かく暖房もいらない日でした。
今年も、おてらおやつクラブのご縁でお非時のご奉仕を津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様でしていただき3年目になります。


ごども食堂も兼ねていましたのでいつもよりお子さんの笑顔も拝見できました。昨年のカレーが好評で今年もお出しできました。子どもさんからお年寄りにも気に入っていただいたようです。次の日、会長様から反省点もお聞きしてました。来年に活かしていければと思います。また、こども食堂の開催にご賛同いただきました方からご寄付もいただき津市母子父子寡婦福祉会久居支部様へお渡しいたしました。次の日にお礼にいきましたおり、お寺の活動としてすばらしいことでこれからも続けてくださいと激励をいただきました。重ねてお礼申し上げます。

妙華寺の報恩講では、ずいぶん以前に組内で初夜のお勤めの稽古していました。それからお勤めは報恩講らしさを考えて、本山の初夜のお勤めをしています。今年は式文の三段を拝読させていただきました。お戸帳を外しての親鸞聖人のお姿は報恩講でしか拝むことができないことです。


布教使様は、衆徒の縁で西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授の葛野洋明(かどのようみよう)師の2年ぶりにのご法話でした。西本願寺のご本からですが「浄土真宗の救いのよろこび」を一緒に声に出して拝読して、阿弥陀様の願いに救われている私が今ここにいることを有難く感じています。聴聞いただきましたお同行のお一人から「二席目に入ってとても引き込まれてお聞かせいただきました」と感想をいただきました。
私(住職)も葛野(かどの)先生のお話がすーと心に入っていくことにうれしさと有りがたさをいつも感じお聞かせいただいています。

葛野(かどの)先生のご法話が二席でしたので途中の休憩時間に、余間に掛かっています親鸞聖人絵伝を間近にみていただき簡単な説明をさせていただきしました。こちらも「中々、近くで絵伝を見ることができなかったですが良かったです」とお聞かせいただき、今後、聖人の絵伝をもっと親しんでいただけることができればと思っています。

行事が終わり次の日にお供えを下げて、小分けしながらお手伝いしていただいた方々へお礼(後礼)とおすそ分けをさせていただいています。それが済みますと今年も報恩講を無事お勤めさせていただくことができたと喜んでいます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々を頼りにしています。行事の30分前に梵鐘を鳴らして案内をしていただきます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。行事が終わりますと、仏旗や幔幕・案内看板・帳場の片付けなど手際よくしていただきます。
また、お非時のご奉仕をしていただいた津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様には後片付けまでしていただき重ねてお禮申し上げます。
皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

お寺の行事は毎年同じ形でありますが変化している部分もあります。果たして行事が同じ形で次の世代に伝わるのか私(住職)には想像がつきません。私が知り得る中でも終了した行事もありますし、復活した行事もあります。その時代の中でお寺とはどのような存在なのか、お同行様が何をお寺に求めているのか。お寺としてできることとできないこといろんなことを考慮しながら次の世代のことも考えたいのですが、今できることをしていくしかないと思っています。

お寺の1日(12月)

12月は毎年自坊の報恩講で4年前から第1日曜日に変更をいたしました。今年は12月1日ですので前月からその準備であわただしいです。報恩講が終わってからやっと来年への準備が始まります。年末年始の準備も毎年でありますが忘れていることもあり昨年の記録を見ながらになります。1年が本当に早く過ぎようと感じるのは何のせいでしょうか。1日1日、新たな命をいただきながらその日を終えていく。やるべき事はたくさんあるのでしょうがその時の自分のできることは限られています。精一杯させていただきお任せさせていただくことがどんなに有難いことか尋ねていきたいと思います。

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