聖徳太子

聖徳太子
高田本山の5月の奉讃法会で聖徳太子1400年御遠忌がお勤めされます。

聖徳太子は、仏教興隆の祖として鎌倉時代に信仰が広まったと聞いています。
親鸞聖人は、観世音菩薩の化身してい崇め「和国の教主」とも讃仰されました。「正像末法和讃」の中に皇太子聖徳奉讃11首、皇太子聖徳奉讃75首、大日本国栗散王聖徳太子奉讃114首を和讃されました。
真宗寺院の多くは、16歳孝養(きょうよう)太子像を余間に安置しています。
美豆良(みずら)を結い、右手は胸前で柄香炉を執り、左手は右手の下で布をつかむ姿は、聖徳太子が16歳の時に、父用明天皇の病気平癒を祈願したという伝説に基づく姿です。

3年前(2020年)妙華寺の本堂東楽の間の改修時に、裏面に「大正10年(1921)3月 聖徳太子御遠忌 志」と記載されている戸帳(とちょう)が残っていました。

【戸帳】とは、宮殿・厨子の前面と左右両側の三方に垂らした装飾布。
戸帳を巻き上げず、礼拝の対象を拝することができるよう戸帳の中央を切り抜いた形のものをを用いている。(浄土真宗辞典)

妙華寺の聖徳太子像は厨子に納められているのでその厨子のサイズに合う戸帳のような気もしますし、妙華寺の本尊の戸帳のサイズのようでもあります。
大正10年3月に聖徳太子(1300年)御遠忌の志として寄進されたことは確かです。
妙華寺でその当時に、聖徳太子(1300年)御遠忌のお勤めを厳修したと考えられます。

聖徳太子(574-622)厩戸(うまやど)皇子、上宮(じょうぐう)太子とも言われる。父は用明天皇。高句麗の慧慈(えじ)に仏教を学び、法隆寺、四天王寺などの寺院を建立した。『法華経義疏』・『勝鬘経義疏』・『維摩経義疏』を制作したと伝えられ仏教の興隆に尽力した。政治の世界では推古天皇を助け冠位12階や憲法17条を制定し、遣隋使を派遣した。