和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土高僧和讃 曇鸞讃14首

弥陀の廻向成就して 往相還相ふたつなり
これらの回向によりてこそ 心行ともに得しむなれ

阿弥陀様が私どもに恵まれる働きはすっかり完成していて、浄土へ向かわしめる働きと、再びこの世に帰らしめる働きと、二つである。これらの本願のお恵みによってこそ、信心も念佛も得させて下さるのである。

※往相還相は浄土に往生することも、再びの世に還って利他の働きをすることも、すべて弥陀の方からさし向けられた本願力の働きとして、それぞれ往相廻向・還相廻向と名づける。回向・廻向、両様に記される。

※心行 心は一心、行は礼拝・讃嘆・作願・観察・廻向の五念行。ともに「浄土論」に説く所であるが、自力修行の如く見られ易いのを、鸞師は深くその意をさぐり、本願他力の心行であることを明らかにした。

※得しの「し」は、させる意
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第二行の左訓は「往相はこれより往生せさせんと思し召す廻向なり。廻向は、浄土に参り、果ては普賢(ふげん)の振舞いをせさせて、衆生利益せさせんと廻向したまえるなり」と、往還について詳しく示されます。
阿弥陀仏が衆生に与えようとされるお仕事はすっかり出来上がりまして、往相という浄土へ往生するすがたと、還相という浄土からこの世に還って、慈悲の普賢菩薩として衆生利益するすがたとの二つのはたらきを示し、この二つの廻向によって、信じて称えてめでたく往生遂げる身となるのであります。
この和讃をよくよく詠みあげてみますと、信じて称えて往生して、還ってきて普賢行を行ずるというよりも、信じて称える一念のところに、如来二廻向による普賢の慈悲光を蒙っていることを知ります。今ここにないことを、流転の時間の後ほどにかくかくのことが起こってくる、というような言い方を祖師はなさらないのではないでしょうか。われは真宗だという人の還相の語り方は、きれいにも聞こえますけれど、ひとごととしての責任回避のむなしさが残ります。信じて称えるというような大きなはたらきが、ひとをたすけないでおくものでしょうか。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

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