こどもの日に

こどもの日に 「いのち」の成長
私が幼かったとき、私の成長を楽しみにしていた家族がいました。私と関係ない他者は当たり前だけどそのようなことは思ってもいません。他者との関係性に気づかず、自分1人で大きくなった気持ちになっていた時もあります。生まれた時の記憶も無く、ただただ泣くだけの赤子だった私が多くの他者の支えによって生きていることに気づけず生きていました。「独りだけで生きているんじゃないよ」と教えてもらったのは大切な家族が亡くなった時だったかもしれない。限りある命であることは、頭の中で観念的に分かっていたつりもでも、間近に関係性のある他者の「死」の様相を見て実感することになりますが、本当の「いのち」について向き合う事はいつだっただろう。

私は、お寺で生まれお育ていただいていたので、宗祖(親鸞聖人)の教えが身近であったと感じていました。仏教(真宗)の教えを知識として得ることも大切でありますが、何度もお聞かせいただく場で、聞法することが、「いのち」について考えさせられ向き合うことができているのだと今は感じます。
同じ話を何度聞いてもその時まで忘れていて、新鮮に聞こえてくることがとても有難い。

その時その時一瞬であるが自分が「いのち」と向き合うこと。他のことを考えずに向き合うことは難しくしんどいけれど、落ちこぼれの自分には、聞法しかないのではないかと
自然に思うようになりました。

自分ではどうすることもできない私の「いのち」を「必ず救う・まかせよ」と誓ってくださる「はたらき」に出遇えたことが本当の「いのち」に出遇うことなんだと感じる。

出遇ったとしても、これまでと何一つ変わらない私自身であるが、同じ日常がこれまでと違って見えたり、感じたりする。

このままの自分を他者と共に受け入れることに気づけよと「はたらき」かけられたことを喜び、讃嘆できることになるのなら生きていることがこんな有難いことはない。
5月の爽やかな風が人の成長を応援していると思う。人生を四季にたとえることもあるけれど、季節のように繰り返すことはない一度きりの「いのち」だ。