お寺の掲示板

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「私の都合」を通そうとしない

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では「仏教で言う「苦」とは、わかりやすく言うと「思い通りにならないこと」をさします。思い通りにならないのは、「自分の都合」に合わせて、周りにいつも思い通りになるものを集めようとするからです」と続きます。

私たちがそういう「苦」の状態にあり、迷いを繰り返していると仏の教えに照らされて実感(自覚)するならば、三十数億年の「生命の連鎖」の歴史の最先端で「私は今、苦しんでいる」ということに気づくことになります。(客観的事実ということではなく、仏の智慧の視点での気づきです)

弘法大師は「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」とおっしゃっています。「暗い世界」から「暗い世界」へとさ迷っているのが、私たちの苦の姿なのです。

※「苦」の自覚をしてもすぐ忘れてしまうのはどうしてなんでしょう。「私の都合」を優先してしまうからなんでしょうね。そんな私を「必ず救う」と願われている「はたらき」に出遇うことで「苦」にうなづくことができるのでしょう。