お寺に伝わる茶道具

お寺に伝わる茶道具
私(住職)の祖父(前々住職)が存命の頃、毎日、居間の火鉢にかかる鉄瓶の湯で抹茶(薄茶)を点てていました。祖母や母、たまに居る父や私・妹も、薄茶のお相伴する時がありました。到来物の羊羹がお菓子となり、祖父が点てた薄茶をいただいていました。親戚が見えると、書院や晩年造った茶室でお茶(薄茶)を楽しんでいました。特に、祖父の誕生月の2月には、中庭の梅見を兼ねて親戚が集まったことを思い出します。
祖父が亡くなってから、私(住職)もお茶に親しみを感じ、祖父が使っていた茶道具などを整理する機会があります。母から聞いた話ですが、祖父の祖父(8代住職)が松尾流のお茶をされていたと聞きました。庫裡の十畳の部屋から中庭を通って書院へと続く露地やつくばいなど、昔の中庭の造りとは言え、お茶を通して見ると赴きも感じます。
祖父が晩年造った四畳半の茶室に切られた炉のサイズも調べると、今のサイズより一回りほど小さい炉でした。炉用の釜や炭も使えず、風炉釜と風炉用炭で工夫していました。

平成22年に祖父の茶室の炉のサイズを、今のサイズに改めて再現(写し)しました。祖父の名の「實明」が「居る」と言う意で、その茶室を「居實(きょじつ)」庵と名づけました。

お寺に伝わる茶道具の一部を紹介します。
祖父が、居間で毎日使っていた茶碗は、黒(楽)で後に調べて知ることですが、箱に、玉水焼の「一元作写」とありました。棗は、瓢と唐草が描かれたものを使っていました。
茶室でのお茶では、茶碗や棗以外に、水指や茶杓、蓋置・建水も使っていました。

茶室を造った頃、お祝いで親戚から贈られた、風炉先(伊勢型紙に鶴が描かれています)もあります。
菓子器で覚えているものは、梅の絵が描かれたものや、高坏(たかつき)と呼ぶ菓子器です。
水指は、小ぶりのもので、底裏に「春岱」とあります。棗には、「雪吹(ふぶき)」や黒の小棗の他、濃茶入も何点かあります。茶杓は、松尾流の宗匠「楽只」(釘彫)斎の「古(いにしえ)」と銘があります。他にも地元の得水の茶杓他、本山の安楽庵の改修記念の「安楽」や桐陰(とういん)席の「桐陰」の焼き印の茶杓もあります。
茶碗は、旅行で行った、萩焼や久谷焼・美濃焼・相馬焼などの茶碗や親戚や法友(茶友)からいただいたものも残っています。祖父が還暦に自祝いとして絵を描いた茶碗も残っています。
花入で大切にして残っているのは、本山に伝わる宗旦古流のものとして、竹二重切のものがあります。後ろ側に「○○のとも」墨化(専修寺19代圓祥上人)と朱漆で書かれています。
香合は、六角織部香合に花押が書かれていますが、どなたのか分かっていません。祖父の干支の「ねずみ」香合は、松古窯の「芳りん」のものも大切にされていたようです。

箱や、道具に書かれた草書体の字が読めずに苦労していますが、これからも大切にしていきたいと思っています。