ひとくち法話

凡夫(ぼんぶ)
アメリカの青年が「アメリカ人は、どんなに自分が悪くても、ごめんなさいとは謝らない。ひとこというと、裁判は負けるし、お金を出さねばならぬから」とテレビでいっていました。私はこれがアメリカ人の生き方かと驚きました。
詩人の相田みつをさんが「損か得か 人間のものさし」といいました。私たちは、心で思うこと、身で行うこと、口で言うことすべて、どんなささいなことでも、自分の都合に立って、損か得かを判断して、ことに処しています。それが当然と思っていたのに、「うそかまことか ほとけのものさし」に照らしてみると、私たち人間のエゴ丸出しの汚い根性と映し出されてきます。
家族の間にも、子どもは子どもの考えで、親は親の権威で、夫は夫の立場で、妻は妻の都合でものをいうので、意見が違うのが当たり前です。そして、自分こそが正しいと張り合うのです。
一般に凡夫というと、愚か者、平凡人、迷えるものなどの意味で使っていますが、親鸞聖人は「凡夫」というのは、無明煩悩(むみょうぼんのう)、われらが身にみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ、おおくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまれず、きえず、たえず『一念多念文意(いちねんたねんもんい)』と、くわしく凡夫という者の心の千変万化(せんぺんばんか)をお示しくださいました。いいかえると、特別なものを凡夫というのではなく、自分の都合を片時もはれることのできない私やあなたのことです。真宗はこの「凡夫」がお目当ての教えです。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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