和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、
『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土高僧和讃 曇鸞和尚 第20首
罪障功徳の体となる 氷と水の如くにて
氷多きに水多し さわり多きに徳多し
私どもの煩悩がつくる罪とがは、却って功徳の本体となる。
丁度、氷と水の関係のようで、氷が多いとそのとけた水も多い。
罪とがが多いとその転じた功徳もまた多い。
罪障は、菩提のさまたげとなる悪業。仏にそむくこと。
体は、もと
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
第4行の左訓は「悪業煩悩なり、功徳となる」と見えます。煩悩悪業罪障はそれがそのまま功徳の内容となります。
それは丁度、氷が解けて水となる関係のように、氷が多ければ解けた水も多いです。
罪障が多ければ、それにつれて功徳もまた多いです。業障の身が、念仏に呼びおこされている事実です。
功徳が多くなることは、同時に罪の身を知るのです。罪のおもいが深くなって、
自分の全存在が罪となってしまうことを離れて、こしらえた功徳があるのではありません。
氷が多ければ水が多い、という言い方は、非常に自然でどこにでも根拠がありそうですが、
たやすくは見い出せないです。これが祖聖の書写された「信微(しんび)上人御釈」(西本願寺蔵)の中に発見されたのです。
障滅すれども去ぬる所無し、氷解けて水と為るが如し。氷多ければ水多し、障多ければ徳多し。
と、全くそのものずばりです。自信を確認するために、いかに広く渉猟(しょうりよう)されたかその一端に触れて、
伏しつ仰ぎつするばかりです。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】