あたりまえ
お寺では、連綿と続けられている形の1つにお勤め(勤行)があります。朝・夕のお勤めが基本ですが、自宅のお仏壇で「お勤めの時間がとれない場合は、どうしたらよいのですか」とお尋ねがあります。時間に追われる私たちは以前に比べて、朝夕のお勤めの時間が取れない場合もうなづくこともできます。「お勤めができない場合は、手を合わせる(お念仏)だけでも結構ですよ」「時間がとれる時に、お仏壇の前でお勤めをされたらどうですか」とお答えさせていただいています。
私(住職)は、どんなに多忙でも、朝起きると、顔を洗います。歯磨きをします。それをしないと1日が始まらないような気持ちです。寝る前にも同様に、顔を洗い、歯磨きをすることが習慣になっています。いつから始めたかはっきりと覚えていませんが、小さな時から教えられて続けているからなんだと思います。
お念仏もお勤めも、習慣になれば時間がとれない中で工夫をして続けられるのではないかなと思うのですが、どうでしょう。ただ、習慣としてお勤めすることで良しとするかは、「門前の小僧 習わぬ経を読む」の喩えのように、環境の与える影響力の大きさだけで判断するのもおかしなものです。やはり、どうして、「私がお勤めをするのか」を知ることが大切なのではないでしょうか。