「飛行機の失敗」のその後

滋賀県長浜市の江戸時代の飛行機図の資料提供
長浜市役所から、長浜(市)には、国友村(長浜市国友町)と言う鍛冶(鉄砲)集団の村があり、今も続く一族の古文書から江戸時代の飛行機図(「阿鼻機流 大鳥秘術 詳細図」)が発見されたことのプレスリリース(資料提供)を送っていただまたした。
江戸時代に空を飛ぶことを試みた方は日本にも何人かいたが飛行機図などは残っていないので貴重なものです。

どうして、お寺に送っていただいたかと言うと、江戸時代の久居藩のことが記載されている『藤影記(とうえいき)』に妙華寺の本堂の屋根から飛行した人物がいると言う伝承から連絡をいただきました。この方の名は「国友貢(みつぐ)」さん。
「国友」の名前からの想像ですが、津藩の藤堂高虎が、滋賀県の高島市から三重県(伊勢の国)の伊賀上野そして安濃津に入ったことから考えると鍛冶集団の何人かが藤堂高虎について来た可能性もあるような。

「2016年2月の日曜学校今月は、妙華寺の本堂から飛行した人の顛末をお話しました。『藤影記』(梅原三千著)にある「飛行機の失敗」と言うお話しです。国友貢(みつぐ)は、鳶鼻の異相を有し、天狗の如く空を飛んでみたいと考え、鴨を一羽手に入れて両翼と尾を秤(はか)り、体の重さも精密に秤量し、その割合を算出して、その比準で自分の体重に適当する大きな羽根を造った。早速、法苑院へそれを持ち込み、実験するということで、本堂の屋根から、羽ばたきたくましく飛んだが失敗して 蓮池の真ん中に墜ちた。国友はこの時挫折したのかその後空を飛ぶことを計った噂はなかった。今「久居城下町案内人の会」でこの話を紙芝居の一つとして紹介されています。
ここからは住職の想像です。①本堂の屋根から飛ぼうとして時期は?江戸時代のいつであるか定かでないのですが、妙華寺の本堂は、文政4年(1821)3月の久居の大火にて焼失しています。再建された今の本堂は、安政4年(1857)12月に棟上げされました。推測できることは、棟上げされて本堂が再建する過程で、屋根に瓦を載せる前の状態の時ではないかと考えています。②蓮池はどこに?妙華寺にはかつてお寺の境内の東南に弁天池と言われる池ありました。現在は、樹木の元でのお墓と駐車場になっています。また本堂の西側に蓮池と言われる池が今もあります。現在は、以前より池の範囲が小さくなり蓮も咲いていません。本堂の屋根の形状が寄棟ですので飛ぶ方向としてはこちらが有力と考えています。人類で最初にライト兄弟が空を飛ぶことに成功しましたが、世界中で空を飛ぶことを夢見た人はたくさんいたのでしょうね。」((https://myoke-ji.com/2016/02/ 参照 2021年4月22日))