ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
09精舎の建立(しょうじゃのこんりゅう)
最初の説法地鹿野苑(ろくやおん)を発たれたお釈迦(しゃか)さまは、各地で説法をつづけられ、多くの人々がみ教えに帰依(きえ)してお弟子となりました。そうしてあの成道(じょうどう)(さとり)の地ウルベーラを目指され、やがて千人の弟子たちを率いて王舎城(おうしゃじょう)に入られました。ここは頻婆娑羅(びんばしゃら)王の領地で6年ぶりの再会に王はもとより王妃韋提希(いだいけ)も大変喜ばれました。それは成道の暁には必ずお会いしますとの約束をはたされたからです。
感激された王は、城の近くの竹林の地を選び、釈尊やお弟子たちのためにお寺(精舎)を寄進されました。これが有名な竹林精舎(ちくりんしょうじゃ)です。
以後ここを拠点としてみ教えは益々広がってゆきました。
そして、舎利弗(しゃりほつ)や親友の目犍連(もっけんれん)をはじめ多くの弟子たちもお釈迦さまのもとに入門しました。
更に忘れてはならないのが祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)です。お釈迦さまの故郷カピラ城に近いコーサラ国の首都舎衛城(しゃえじょう)に給孤独(きっこどく)という長者がいましたが、彼は熱心な信者で釈尊にお寺を献上したいと考えました。そうして舎衛城近くの森が最適と思い、地主のジェータ王子に交渉しましたところ、黄金を敷き詰めたら売ってやろうとの難題をもちかけました。しかし、長者は早速に牛車で黄金を運び敷き詰めたのです。地主もその行為が尊いも のと気付き自分も協力したいと申し出たのです。
こうして見事な精舎は、ジェータ王子の樹園〔祇樹(ぎじゅ)〕・給孤独の園という2人の名を冠して祇樹給孤独園(ぎじゅきっこどくおん)、略して祇園精舎として釈尊最愛のお寺となりました。長者こそ初期仏教教団を物心両面で支えた代表的在家信者といえるでしょう。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より