聞法の場

毎月開催されています「紫雲会」の11月の場に参加できる機会をいただきました。
花岡静人師の「阿弥陀さまはどうしても捨てることができなかった」(悪人正機)の法話でした。

正像末法和讃の「如来の作願をたずぬれば 苦悩の衆生(有情)をすてずして 廻向を首としたまいて 大悲心をば成就せり」(正像末法和讃 37首(国宝本では34首))からのお話でした。
ここで語られる「悪人」は私のことであります。「苦悩の衆生(有情)」

花岡先生は、「苦悩の有情」として自分自身を見ていくことの難しさを語られ、本当に自分自身に向き合うことができない私であることをもう一度教えていただくことでした。

また、法然聖人の「選択本願念仏集」を読んだ、明慧上人の「摧邪輪」の念仏批判に対する、親鸞聖人の「教行証文類」の立場をどのように見るのか、私には、考えが及ばなかったことでしたが、18願と17願、19願、20願への思考を深める時間だったんだと勝手に想像するとても刺激的な時間でした。(※中川個人の感想です)

私(住職)にとって、法話をお聴かせいただく時間は本当に有難い時間です。自分中心の考え方をしていることの危うさをいつも指摘くださり、「み教え」がどれほど私に届いていてくださっていたかを点検する時間でもあります。それが、私(住職)の心豊かな時間になっていることは言うまでもありません。私(住職)に法話をお聴かせいただくことができる時間は限られています。その場が、私の近くにあることもうれしいことです。

ご多用な時間をお過ごしとは思いますが、法話を聴聞された経験が少ない方、是非、ご都合をつけて、法話にしっかり向き合いませんか。

自分自身にとって豊かな時間になることと思います。