道 伝わること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

道 伝わること
お茶の稽古を初めもう35年以上になります。
お寺の行事では、薄茶をお出しする機会があり、当然、他のお寺さんで薄茶をいただく機会もあります。お同行さんの自宅でのお勤めの時にも、薄茶をいただくこともあり、最初は、お茶をいただく作法を覚えることが動機でした。稽古も、お客として、お菓子のいただき方、薄茶のいただき方から始まります。続いて、お茶を点てる作法を覚えることになります。風炉(5月から10月)の季節と炉(11月から4月)の季節で、点前は違います。半年ごとに、基本の点前から始まります。その時覚えていても、一年経つと(特に歳をとっていくごと)忘れていることも多く、稽古の年数を重ねているだけです。
知って(覚えて)いるとしても、教えを請うことの繰り返し、それが楽しく面白く感じるのはなぜでしょうか。「お茶」を通して、他者との関係を深めていくこともありそうです。
他者との関係は多種多様であり、私の知らないことに出会う楽しみでもありますが、一つのこと(「お茶」)を中心に据えて関係を造り上げていくことも、人によって視点が違うので、刺激をいただき、とても深まることにつながっているようにも感じます。「茶道」と言われるように、継続していくことが大切ではないでしょうか。
仏教も、以前は、仏道と呼ばれていました。
仏の教えも、これまでの日本の生活様式で、同じ家に住みながら、祖父母から父母へそして私へと伝わってきたのかもわかりません。しかし、今の時代は、父母から伝わることもなく、自らが求めないと伝わらないものになったようにも感じます。
仏の教えを知らなくても生きていける時代ですが、むなしく生きているように思ってしまうのは私だけでしょうか。
※中川個人の感想です。