聖の意識

聖の意識
聖なる場所と聞くとどのような場所を思い浮かべるでしょうか。
今は、「パワースポット」と呼んだり「〇〇の聖地巡り」なども盛んですね。
有名地でなくても、自分の中での神聖な場があると思います。
以前は、自宅にも、仏間や座敷など、生活空間の居間とは違う、気持ちがあらたまる場があったと思います。
また、地域の神社やお寺も聖なる場として認識されていたようにも感じます。
今でも、そのように感じて、神社やお寺の前の道を通り過ぎる時に正面の神殿や本堂に向かって一礼して通る方もいらっしゃいます。

しかし、近年は地域の神社やお寺に、それほど気持ちがあらたまることも感じることが無くなったとの声も聞きます。いつもの風景で、聖なる場と感じる気持ちも少なくなっているのでしょう。

また、「聖域」の言葉は、今はネガティブに捉えられます。現代は、既得権やタブーをなくすことを優先する考え方が支持され、何事も分け隔てなく可視化することが望まれています。

私(住職)もそのように感じますがそれがはたして正しいかどうかは判断できません。
生活をする中で、包み隠さず自分のすべてをさらけ出すことができるかと言えば、できないのが私なのだと思います。そのような私でも居てもよい場が聖なる場所なのかもわかりません。

※中川個人の感想です。