生活者の意識

 

「寺院・神社に関する生活者の意識調査」(2021年6月実施・前回は、5年前)を手にしました。5年間で生活者の寺院・神社への意識も変化しています。(前回は神社の関する調査はありません)
今回は、コロナ禍の中での調査で、コロナ禍に対応する設問もあり、生活者の寺院・神社に対する意識調査は、前回に比べて多岐にわたっています。
そのような中で考えさせられたことは、「生活者がお寺や僧侶を意識する時間があるのでしょうか」ということです。
ごく普通の生活者は、朝起きて、身支度をして会社に出勤(仕事に行き)夜まで働き、自宅に帰って、食事をしたり家族団らんの時間があり1日が終わります。
自宅で過ごしている場合でも、日々の生活のするべきことに追われて、心が安まることがないことは以前からもお聞きしています。
自宅にお仏壇があって、手を合わすことはあったとしても、お寺や僧侶のことを意識する時間はほとんどないと感じます。
季節の中で、お彼岸・お盆・年末年始の時期にお墓参りを考える時や、家族が亡くなられた時の通夜・葬儀、それ以降の年回法要の時に、お寺や僧侶のことを思い浮かぶのではないでしょうか。
私の人生の中で1人の家族が亡くなられ葬儀を行い、次の年から1周忌・3回忌・7回忌・13回忌・17回忌・23回忌・27回忌・33回忌と丁寧にお勤めしたとしても32年間で8度ほどの関係です。今の時代では、7回忌や13回忌も求められない場合もありまので、先祖供養についての意識も相当変化しています。
今の時代では、仏の「み教」を通して自己のあり方を見つめる意識も変化しているのでしょうか。仏に出遇うことができなくても生きていけますが、仏に出遇う体験は、その人がより豊かな人生を歩むことができると感じています。
大切な方の「いのち」終える姿を通して、自分自身の「いのち」を見つめて、私の「ものさし」(見方)以外の「ものさし」を感じることが素晴らしい体験だと思います。

お同行の皆様にもお示ししたい内容であり、今回の意識調査を共有して、お寺や僧侶のあり方を話し合ってみることもできればと思います。