【報告】秋彼岸会 お勤めしました

【報告】秋彼岸会
今年は暑さが続いて秋彼岸会もエアコンを入れてお勤めしました。
振り返ると昨年は台風の影響の大雨の秋彼岸会でした。
「暑さ寒さも彼岸まで」の言い伝えもありますが、最近の秋彼岸はまだまだ暑く感じられます。そのような中、お越しいただいた方々に感謝申し上げます。
13時30分からお勤めの後、真楽寺の鷲山了悟師が、「老い」をテーマの法話でした。
「老い」とはどのような状態か考えていくと奥深いことのようです。
「生老病死」の四苦の一つであります。
私(住職)自身のことで思うのは、私が学生であった10代20代初めのころ、30歳の方は「おじさん」「おばさん」であり、60歳以上の方は「老人」として見ていました。しかし、自分が30代、40代になっても自分のことは「おじさん」とは思わなかった。60代になっても、若い時のように身体は動かないことは自覚していますがどこかで「老人」とは考えたくない気持ちがあります。医学の進歩で長寿になれば、「老い」が遠ざかっていくような錯覚をしているのかもわかりません。それでも「老化」は進んでいます。そのことに向き合いながら人生を歩む時、心配事は絶えません。私の考えでない「ものさし」に気づくと少しほっと(安心)することがあります。手前みそになるのかもわかりませんが、何度も何度も法話を聴聞する中で「阿弥陀さんのはたらき」が私(住職)の中でしっくりしてきます。※中川個人の感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、ご法話の後、行政書士法人中村事務所様のご協力で「終活カフェ」を三年ぶりに開催しました。行政書士の高松様から「終活について考える~はじめの一歩~」と題してお話をいただきました。「老い」ていく中での社会生活の心配事の問題解決も大切なことです。それは、家族があっても、おひとり様であっても関係ない問題です。備えることの大切なことをお教えいただきました。「終活カフェ」は、10月の秋千部会、来年の3月の春彼岸会の時も開催させていただきます。

※布教使さんの法話が終わってから控室で、「これからの供養のかたち」の本の話題になりました。既に本を購入され読まれていました。何故購入されたかをお聞きしましたら、これまで生活者の視点で「供養」について書かれた本がなかったこと。真宗では「供養」についてあまり考えることもなかったこと。しかし、生活者の視点の「供養」については知りたかったこと。などあげられました。寺院活動としての年忌法要・お盆などを真宗僧侶は、仏徳讃嘆としてお勤めしているのですが、そこに集う生活者(同行さん)は、亡くなられた方への供養としてお勤めされていると感じていらっしゃる場合がほとんどです。同じお勤めの意義の相違をどのように合意にもっていくかが真宗僧侶の力量が問われているのですが、考えさせられます。