ひとくち法話

「名号」とは「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」のことです。阿弥陀さまの「み名」です。阿弥陀さまは私たちに、「どうかお願いだから私の名をよんでおくれよ。必ず救うから。南無阿弥陀仏を受け取って安心しておくれ。きっと浄土(じょうど)へ迎え取るから」と呼んでくださいます。
今、私たちが、その呼び声に応えて「南無阿弥陀仏」と称えたら、もう浄土へ生まれていく人生が決まるんです。もう迷わないでいい。何故なら、南無阿弥陀仏のみ名は、われわれの往生(おうじょう)に何の心配もないと言って下さる如来さまの言葉ですから。
「お前たちの、名をあげたい、得(とく)したい、人に勝ちたいという煩悩(ぼんのう)や、迷いは障(さわ)りにならぬから、安心して南無阿弥陀仏を受け取っておくれ」との呼び声が南無阿弥陀仏です。
体から噴(ふ)き出る欲や、怒りや、愚痴(ぐち)などをいっぱい抱えている私たちですが、なに1つ自分で処理することが出来ない。その出来ない私たちをそのままに如来さまが抱き取って下さるから、今の私のままで浄土への道を歩ましていただくことが出来るのです。迷いのない人生がそこに開かれるのです。
私たちが、南無阿弥陀仏と称える時、阿弥陀如来が、お浄土から6字の言葉にまでなって、私たち1人1人のいのちの底にまで届いてくださるのです。「今日も命を頂いてありがとうございます。南無阿弥陀仏」「他人の昇進を恨んだこのあさましい私でした。南無阿弥陀仏」「嫁にどぎつく言い過ぎた恥ずかしい私でした。南無阿弥陀仏」
お念仏(名号)を称えるということは、いつも如来さまと一緒に日暮らしするということであり、教えに遇(あ)っていることであり、光に遇っていることです。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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