仏涅槃図について

仏涅槃図について
本日15日まで妙華寺の西余間(向かって左側の余間)仏涅槃図が、に荘厳されています。

仏涅槃図について紹介します。
「涅槃」は、梵語でnirvana と書き、吹き消すこと、消滅の意をあらわし、転じて、煩悩を滅却して絶対自由になった状態をいい、さらに進んで、釈迦または聖者の死を意味するようになった。
釈迦の入滅の時期については、紀元前543年ごろ・同483年ごろ・同383年ごろとするなど諸説があって一定しない。釈迦は29歳のとき出家し、まず山中に入って6年間苦行生活を送ったがその空しさを知り、ボードガヤーの菩提樹の下で静かに瞑想をこらして、ついに前人未踏の悟りを開いた。以後40余年間、インド各地を巡歴し多くの人々を教化、ヴァイシャーリー近くのヴェーヌ村に至って重い病にかかった。一説によると、この病はパーパー村の鍛冶屋のチュンダの捧げた食事で中毒したのだという。病は一度回復したが、再び重くなり、クシナガラのキレン河のほとり、沙羅双樹の間で入滅した。涅槃図はこの場面を描いた図である。
涅槃図の典拠となる経典等の類には、40巻本『大般涅槃経』・『大般涅槃経後分』・『仏般泥洹経』・『長阿含経』・3巻本『大般涅槃経』・『般泥洹経』・『摩訶摩耶経』・『仏母経』・『仏所行讃』・『仏祖統紀』等があり、日本の涅槃図を理解するには、恵心僧都と明恵上人の撰した両『涅槃講式』が重要な位置を占める。
日本では、涅槃に関係した美術作品は、ほとんどが絵画で、彫刻はきわめて少ない。全体に日本では仏伝美術(釈迦の伝記にテーマにした美術)はあまり発展しなかったが、それは日本の仏教がほとんど大乗仏教として受容されたことと関係があるらしく、仏伝美術は、釈迦の誕生を誕生釈迦と称して彫刻であらわし、釈迦の死を涅槃図と称して絵画であらわすことによって、仏伝を釈迦の生と死の二大事件で代表てしまった感がある。そして、誕生仏と涅槃図は、日本で発展した仏教のすべての宗派が、寺の必需品として寺ごとに備え、誕生仏は、4月8日の灌仏会の、涅槃図は2月15日の涅槃会の各本尊として用いたので、今日まで残る作品は両方とも多く、とくに涅槃図は現存する仏画のうちで、もっとも多い。従って優品もまた豊富に残っている。
【日本の美術9】より