グリーフケア公開講座

グリーフケア公開講座 第5回の講師は、作編曲家の山下達也氏でした。アメリカ留学から10年前に帰国し今日お話しされる「音楽による悲嘆の癒やし」を考察されていたそうです。講師は主に映像を伴う音楽を作編曲されています。音楽は耳で聞くものですが、「聞く」行為は「見る」行為に比べて情報を処理する能力が、1/10とか1/8と言われているようです。その為、時には純粋で心が揺さぶれやすくなる側面と、物事の本質のみを捉えようと感覚が研ぎ澄まされる側面があるようです。音楽が悲嘆の癒やしに値するのか作る側からの話を聞きました。エンターテイメントとしての音楽は、多くの人を楽しませるよう作られているので個々の立場や感情に寄り添った作り方は採用されにくいようです。良質のエンターテイメントを作る時、聞き手の感情をある程度コントロールする作り方が必要になり、他者に感情をコントロールされて得られるものは、「癒やし」と言えません。
リラックスの為の音楽は、緊張やストレスへの対処であり、癒やしのための音楽は、悲嘆への対処であるべきと思うが間違えやすいところであるようです。世の中の音楽の多くはエンターテイメントでの使用を想定した音楽(クラッシックも含めて)で、その他の音楽として、宗教音楽、童謡、民謡が候補になりますが現代の人々には馴染みの曲は少ない。そのような状況でも「癒やし」となる音楽は存在すると講師は話されました。エンターテイメントの音楽にも制作者に感情や解釈を決めつけられず自由な聞き方できたりする音楽が「癒やしの音楽」になり得るものでそれぞれが見つけてほしいとまとめられました。中川個人は音楽に詳しくはありませんが、今回の講演を聞く前には、音楽に「癒やし」は当然あると思っていました。これまでも好きな歌がありドライブしながら何度も聞きながら、またコンサートで音楽を聴き涙することもあり癒やされたと思っていました。でもこれって癒やしというのでなく、音楽に酔っていたのか、依存していたのかどうなんでしょうか。「癒やし」として考えるのであれば私に寄り添っている音楽は? 私に伝わってくる音楽は?というのでしょうか。個人により私に伝わる音楽は勿論違いますので、音楽の楽しみ方が新たに増えたような楽しい講演でした。
最後に、日本テレマン協会の創始者でもありオーボエ奏者の延原武春氏も参加され、講師が「癒やしの音楽」になり得ると感じる音楽をお聴かせ頂きました。
※中川個人の感想です。

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