和讃

 

 和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃09首
無明の闇を破するゆえ 智慧光となづけたり
一切諸仏三乗衆 ともに嘆誉したまえり
 迷いの闇を照破するもので、弥陀の智慧光佛と名づける。一切の諸佛諸菩薩も、共に弥陀の威光をたたえられる。
※「無明」は人生の真理に対する正しい智慧のない状態。根本煩悩と呼ばれ、苦悩や不幸の根本原因で、迷い・疑いのもととなる。
※「三乗衆」は大乗小乗の教えを修行する人々。
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】
 智慧光佛には「一切の諸仏の智慧を集めたまえるゆえに智慧光と申す。一切諸仏の仏になりたまうことは、この阿弥陀の智慧にてなりたまうなり」と左訓されます。第一行とのかかわりは「愚痴の闇を消さむ料なり」と前出の左訓に当たっております。愚痴は無明の闇です。無明は「明」になることのできた人が、明の立場に立って明でない人をあわれんで、その人を射当てているのです。無明煩悩といって、すべての煩悩は無明の種々相でもありますし、また愚痴そのものにも限定されます。
『唯信鈔文意』にも「無碍光仏のおんかたちは智慧の光にてましますゆえに、この如来の智願海にすすめいれたまうなり。一切諸仏の智慧をあつめたまえるおんかたちなり。光明は智慧なりと知るべし」と説かれますように、光明も名号も智慧を離れてありません。弥陀の智慧に触れて諸仏が諸仏になります。だから一切の諸仏は、仏に成ろうとして励んでいる声聞や縁覚や菩薩の数多い三乗の方々と一緒になって、智慧光仏にまします阿弥陀をほめたてまつるのであります。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】
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