4月の日曜学校

栃木県の本寺(専修寺)について
親鸞聖人が下野国芳賀郡大内荘高田へ来られたのは、聖人53歳の時と言われています。ここで虚空菩薩の化身明星天子のお導きを受け、またこの地方の豪族や庶民の懇望を受けここ一宇を建立され、信濃国長野の善光寺から一光三尊佛をお迎えして本尊とされました。聖人のお留守は、当地豪族出身の真佛上人が預かり、専修念仏の根本道場となり、多くの門弟が生まれ、聖人帰洛後、「高田門徒」と呼ばれ、聖人の遺弟中最大の教団となりました。真佛上人の後、顕智上人が継承し、聖人の入滅にも立ち会われ、御遺骨を抱いて高田に帰り、御廟を建てられました。その後「専修念仏の旗手」との意味合いから寺号を「専修寺(せんじゅじ)」と称することになりました。
親鸞聖人の御廟は、高さ145cmほどの石塔で、「笠塔婆(かさとうば)」と言われる形式です。それは高田本の「親鸞聖人伝絵」に描かれた聖人の墓碑と同一形式であることが意義深い。聖人の御歯骨が納められています。

15世紀半ば、第10世真慧上人は、伊勢の一身田に別院の無量寿院を建立し、東海北陸地方へ教線を拡大せられた。しかし、戦国時代、高田の専修寺は兵火のため炎上し、廃墟になったので、教団の本山としての機能を一身田に移し、無量寿院も専修寺と呼ばれるようになりました。
高田の専修寺は、江戸時代になりようやく復興し、高田教団では、本寺(ほんじ)と呼び尊んでいます。国からは、「親鸞聖人の宗教遺跡」として唯一の史跡指定を受けています。

  現在の本寺には、涅槃堂に木造の釈迦涅槃像(元禄15年(1702)制作)が安置されているのが目を引きました。
また、三谷の草庵も2年前に改修されていました。
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