お寺は、「死」について安心して聞ける場所

 布教使様のご法話をご聴聞する機会はそれほど多くありません。
何故ご聴聞するのか? 私の場合どこか安心したい思いがあるのだと思います。先日、高田本山で布教伝道大会がありました。
 「死」の怖さもそうですが「死」に至る怖さもあります。このときの「死」は「私の死」であり「他人の死」ではありません。「私の死」が如来のはたらきで安心できることを布教使様がそれぞれのスタイルで語りかけていただくことは何度聞いてもありがたい気持ちになります。
 今回は、大切な方がお亡くなりになられてから悲しみの中でお勤めをし、ご遺族にお話しをすることも大切でありますが、今まさに亡くなられてゆく方にどのようなお話しができるのか考えさせられました。
また、 「死」について安心して聞ける場所がお寺ですと講師先生がおっしゃられましたこともお寺を預かる者として、お同行の皆様方に本当に安心していただく場になるよう精進していかなければいけないことと改めて感じました。
 毎日全国のどこかのお寺で、ご法話をご聴聞できますが、妙華寺では、一年間に5回のご縁です。身近なお寺で、「後生の一大事」について布教使様のご法話をご聴聞しましょう。
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